2022.04.09
# 政治政策

西部邁の最大の親友だった東大生が84歳になっても「中核派」議長を務めているワケ

対談 清水丈夫×田原総一朗(後篇)
田原 総一朗 プロフィール

盟友・西部邁との決裂

田原 故・西部邁さん(元東京大学教授)には、「朝まで生テレビ!」にずいぶんたくさん出演してもらいました。東大ブント時代、清水さんは一番の親友だったと西部さんが本で書いています。でも西部さんは清水さんと袂を分かち、革命家をやめてまったく違う道に進みました。

清水 西部とは本当に親しかったのです。学生時代には、駒場寮でずっと一緒にいましたから。彼のことはすごく信頼して一緒にやってきました。でもブントが潰れたとき、彼は運動をやめてしまった。労働者階級のことが信頼できなくなってしまったのでしょうね。

田原総一朗氏 Photo by Shinya Nishizaki田原総一朗氏 Photo by Shinya Nishizaki

田原 彼はずっと大衆を信用してなかったと思いますよ。

清水 ブントが破綻して潰れたときには、僕も揉みくちゃになって行き詰まりかけたものです。でも労働者階級の解放を目指す共産主義運動に参加したからには、ちょっとしたあれこれのことで苦しんだとしても、転向なんて考えられない。そんな生き方は僕にはできません。人生をかけて運動に参加したわけですから。

若いころ、西部が「大衆が信用できない」というようなことを口走ったことがありました。まさか本気だとは思わなかったので、「それは間違っている!」と徹底的に討論したことがあります。西部は納得して「わかりました」と言って、それから一緒に運動を続けました。

彼は運動に没頭するし熱中するし、大衆運動を作る力がものすごくあります。だから運動から離れてしまったときは、本当に惜しいことをしたと思いました。

田原 それから彼はアカデミズムの世界に入り、東大教授まで上り詰めました。

 

清水 テレビで発言している様子を見ると、ブントで活動していたころとはまったく逆の方向のことを言っていたものです。「なんとまあ」と悲しい気持ちになりました。転向し、若いころやっていた運動とはひっくり返ったことを今やっている。そのことについてどこかで納得がいかず、苦しんでいたんじゃないですか。だから最終的に、ああいう形で責任を取ったのだと思います(2018年1月に入水自殺)。

取材が行われた東京都江戸川区の前進社 Photo by Shinya Nishizaki取材が行われた東京都江戸川区の前進社 Photo by Shinya Nishizaki

田原 西部さんは亡くなる2年くらい前から、僕に会うたびとにかく「死にたい」「死にたい」と言っていましたよ。

清水 潜伏活動を送る中、実はある場所で西部と偶然会ったことがあります。そのとき彼は「自分のやり方は失敗だった」と言っていました。資本主義経済は駄目だ。資本主義も資本家もまったく信用できない。とてつもない絶望感に陥ったはずです。何もかも信じられなくなってしまった。彼はアカデミズムの世界なんかに転向せず、僕と一緒に闘い続けるべきだったと思います。そうすれば今でもピンピン元気にしていたと思いますよ。

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