賛否両論のウィル・スミス「平手打ち事件」、そこに至るまでの歴史と文脈を徹底検証する

池城 美菜子 プロフィール

ロックは演技も上手だが、俳優としてのキャリアは幅が広いとも散漫ともいえる。

90年代にカルト的な人気を誇る名作『ニュー・ジャック・シティ』で強烈な印象を残す役を演じた後は、名作『天国からきたチャンピオン』のリメイク版(2001)で主演したり、なかよしのアダム・サンドラーの家族向けコメディによく脇役で出演していたり、アニメーション『マダガスカル』で声優を務めたり。

話芸以外でもっとも高い評価を受けたのが、自ら製作した2005年から2009年まで準キー局で放映されたシッコム『Everybody Hates Chris(みんなクリスが大嫌い)』だ。80年代のブルックリンで育った自身の少年時代をゆるくなぞった作品。

人種融和政策の一環として強制的に白人ばかりの学校に入れられたクリス少年はいじめに遭いながらも似たタイプの白人の親友を見つけ、貧しくとも温かい両親と世渡り上手の妹に囲まれて成長する。

大人のずるさや世の中の矛盾を突くストーリーラインを脱力気味の主人公がなんとかやり過ごす姿が新鮮で、エミー賞やゴールデン・グローヴ賞など数多くノミネートされた。『Everybody Hates Chris』はくり返し再放送され、2021年にアニメ版の話がもち上がっている。

今回の事件と関連性が高い作品もある。自ら発案、制作した『good hair』(2009)である。ふたりの娘の父親でもあるロックはプロデューサーとして、黒人、とくに女性にとって縮毛がどのような心理的影響を与えているか、黒人の髪を巡る産業を紹介するドキュメンタリーを制作したのだ。

平手打ちの理由が、脱毛症に悩むジェイダ・ピンケット・スミスの哀しみを見てとったウィル・スミスの仕返しだったのは広く喧伝されている。問題は、ロックがジェイダの脱毛症を知っていたかどうか、である。私はこのドキュメンタリーをすぐ思い起こし、事件直後からその点が気になっていた。「公にしている」=「みんなが知っている」ではない。

〔PHOTO〕gettyimages
 

実際、ロックが揶揄した「G.I.ジェーン」にそこまで悪い印象がないため、事件直後には、なぜ怒って叩いたのかわからないメディア、アメリカ人のほうが圧倒的に多く、理由づけされてから一気に拡散された。私も知らず、ググったひとりだ。

ロックは「知っていてイジった」前提で糾弾されているが、授賞式から12日が過ぎたいまでも、散々議論されている事件であるにもかかわらず、この一点ははっきりしていない。いくつかのウェブ・メディアが「知らなかったらしい」と報じているが、決定打は見つからなかった。ここまでの騒ぎになってしまうと、知らなかったと言えば言い訳に聞こえるし、知っていたことを認めたらまた新しい議論の糸口になるだろう。

これほど大きいマグニチュードではないにせよ、炎上慣れしているロックは黙っているほうが得策だと思っているのかもしれない。事件後、彼の最初のコメントが「I am still processing」だった。日本では「処理中」と訳して報じられたが、人の気持ちを表す場合、機械的な「処理中」よりも「消化中」のニュアンスが強い。「(理解しようと務めているが)考えと気持ちがまだ追いついていない」ときに使う言い回しなのだ。

ロックは「事件についてただでは話さない」と発言している。トップ芸人の強かさなのか、「まだ消化中」なのか、その両方なのかはわからないが、安易に好感度の回復に走らないのは彼らしい。ネットフリックスで2018年のスタンダップ・コメディ『クリス・ロックのトータル・ブラックアウト タンバリン拡大版』が見られるので、気になった人はぜひ。

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