賛否両論のウィル・スミス「平手打ち事件」、そこに至るまでの歴史と文脈を徹底検証する

池城 美菜子 プロフィール

自伝に書かれていること

ウィル・スミスのフィルモグラフィーを細かく追う必要はないだろう。

ここでは2021年11月に発刊された自伝、『Will』で新しく得た知識をシェアしたい。ペンシルバニア州のフィラデルフィア西部で生まれ育った子ども時代から始まり、ごく最近の出来事まで網羅している。

 

高校で知り合ったDJのジャジー・ジェフと出会ってヒットを飛ばし、それがマイケル・ジャクソンと『スリラー』を世に送り出したクインシー・ジョーンズの目に留まってハリウッドへ進出。シッコム『ベル・エアーのフレッシュ・プリンス』の成功ののち、『インデペンデンス・デイ』の大ヒットで彼は「おもしろ系」から「アメリカン・ヒーロー」へと変身する。

本書はハリウッド進出とジェイダとの結婚までで半分以上に行き着く。多くの有名人のバイオグラフィー同様、ベストセラー作家が本人を取材して書き起こしており、非常に読みやすい。

中産階級の黒人家庭の様子とヒップホップ黎明期の記録としても、ハリウッドでの勝ち上がり方の成功本としても、後半に集中するセレブリティのミッドライフ・クライシス(中年の危機)話――幻覚剤アヤラスカ、トリニダード・トバコへのひとり旅、バンジージャンプまで挑戦している――としても読めておもしろい。

いまとなってはどうしてもページが終わった先に平手打ち事件があり、そこに至るまでの伏線集めという底意地の悪い読み方をしてしまった。関係がありそうなポイントを箇条書きにする。

・ウィル・スミスの父親は軍隊上がりの実業家であり、製氷業を営みながら子どもたちを厳しく躾けた。それが彼の成功法として染みついている一方、母へのDVを目にして育ったため自分自身を「臆病者」だと長らく思っていた。
・空想癖があり、長いことイマジナリー・フレンドがいた。
・中産階級出身だったため、ラッパーとしては「ソフト」と言われたものの暴力にさらされる経験を十分にしている。
・運だけで成功したのではなく、クリスマス休暇中も体を鍛えるような努力を続けた。
・『ベル・エアーのフレッシュ・プリンス』のセットで家族やスタッフを使って人脈作りのためにミニパーティーをよく催した。
・父親から授かった軍隊式教育法はアメフトの選手だった長男のトレイには有効だったが、末っ子のウィローには通じず、ウィルは40代に入ってやっと「感情に向き合う」ことを学んだ。
・妻の親友、2パック・シャクールには気おくれして同じ部屋に居合わせても話したことがない。
・自分を癒すために、最近になってみんなが望むウィル・スミス像を演じるのをやめた。

ここまで極力、控えてきた個人的な考察を最後にまとめて記す。

ここ数年、夫婦仲の危機を乗り越えたウィル・スミスは自分探しの途中であり、それが彼に主演男優賞をもたらすことになる映画『ドリーム・プラン』でのあの繊細な演技につながったように思う。

訛りや仕草を実物に近づけるのはもちろん、リチャード・ウィリアムズの人間像まで完璧に理解して鬼気迫るものがあった。セリーナとヴィーナスをテニス・チャンピオンにしたのは、父親の狂気一歩手前の愛情であった。

私はあの映画を観ながら、マイケル・ジャクソンおよびジャクソン・ブラザーズを育てたジョー・ジャクソンや、家を抵当に入れてまでビヨンセとディステニーズ・チャイルド、妹のソランジュを売り出したマシュー・ノウルズを思い出した。黒人のスーパースターやスーパーアスリートには弩級のステージ・パパやコーチ・パパがついているケースが多いのだ。

本のなかで幼いうちから成功を収めた子どもたちを臆面もなく自慢するウィルも、ステージ・パパの要素をもっている。夫婦喧嘩でも親離れへの対峙でも家庭内で収まるうちはいいが、子どもたちまでが同世代のアイコンであるスミス家の場合は一挙一動がニュースになる。これは、精神的に相当キツい状況だ。

自伝のラストでバンジージャンプを飛んで自分を開放してものの、一世一代の大役を演じ切って映画界最高の栄誉を受けたあの夜までのウィル・スミスの精神はずっと緊迫していたのではないか。

ジェイダの「レッドテーブル・トーク」で離婚危機と妻の火遊び(と本人が表現している)の真相を語っていたにもかかわらず、あの夜、司会のレジーナ・ホールはそのネタをもち出し、クリス・ロックは脱毛症を知ってか知らずか髪型に言及した。

ロックは共演歴もあるジェイダを侮辱するために言ったのではなく、彼に期待される「笑わせる」という役割をまっとうしながら「スポットライトを当てた」つもりだったはずだ。だいたい、司会者の女性コメディアン3人もほかのプレゼンターも、あれ以上の強烈なジョークをバンバン言っていた。

実は、スミス夫妻とロックの間には6年越しの確執があり、ロックはジョークで歩み寄ったつもりがウィル・スミス側は受け入れなかった、という見方も成立する。

2016年にアカデミー賞の司会を務めた際、ロックは黒人の映画人が正当に評価されていないと主張してスパイク・リーたちと一緒にボイコットを口にしていたジェイダに対して、「呼ばれてもいないのにどうやったらボイコットできるんだ」とジョークのタネにしたのだ。ジェイダの抗議の動機には、夫への正当な評価の要求もあると思われていたため、このときはロックの言い分に一理あると取られ、笑いが起こった。

今回、レジーナ・ホールのジョークに対する不快感と積み上がった緊張感でパンパンになっていたウィルは、ロックのジョークで妻の表情が曇ったのを見てキレてしまったのではないか。涙ながらのスピーチも、同じ言い訳をくり返していただけで彼らしくなかった。私は今後、彼の精神状態についての話が多く出てくると予想している。

身もふたもない指摘をすると、アカデミー賞は多くのアメリカ人にとって本質的に「テレビの特番」である。伝統も権威ももちろんあるが、テレビ局のCBSは全世界的なテレビ離れの世の中において視聴率を稼ぐのを期待し、アカデミー側はいい意味で話題になって映像作品に興味をもってもらいたいわけだ。そのため、特番をおもしろくするためにホストの時事的なジョークは必須だと私は思う。

翌週に行われたグラミー賞は、自己検閲をしたのか、司会のトレヴァー・ノアが安全なジョークを連発してびっくりするくらい笑えなかった。アーティストたちのすばらしいパフォーマンスというキラー・コンテンツがあるグラミーの授賞式は、それでも構わない。アカデミー賞が当たりさわりのない司会と俳優たちのお礼スピーチだけになってしまったら、おそらく映画関係者以外の興味は半減するだろう。もちろん、今後は笑いの質の急激な変化に向き合う必要はあるが――。

関連記事