「行ってきます」と学校へ向かう子どもに「行ってらっしゃい」と声をかける。ありふれた朝の挨拶。それが子どもと交わす最後の言葉になることを誰が想像できるだろうか。何日もかけて探し出した子どもが、顔は腫れあがり、肌の毛穴にまで泥が入り込み、二度と動かない体になっているなんて。そしてこれが「先生の言うことを聞いた」結果なんて。
そんな「現実」を伝えるドキュメンタリー映画が話題となっている。『生きる~大川小学校津波裁判を闘った人たち~』だ。亡くなった子どもたちの遺族らが「その日」学校で何が起きたかを知るために裁判を起こし、勝訴判決を勝ち取っていく記録だ。そこから何が明らかになったのか。映画の内容と共に、この映画が作られた理由をお伝えする。
避難できる時間は十分あった
2011年3月11日の東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校の児童が津波に呑まれ、74人(うち4人は、11年たった今も行方不明のまま)が亡くなった。学校の管轄下でこれほどの犠牲を出したのは、大川小学校だけだ。親たちは子どもの死に、納得がいかなかった。
地震から津波の到達まで51分もあったのに、子どもたちはなぜ避難しなかったのか。校庭のすぐ後ろには授業でも登る山があり、子どもたちもよく知っていた。その山なら、校庭から約1分で避難できたのに。
映画『生きる~大川小学校津波裁判を闘った人たち~』(監督:寺田和弘)は亡くなった子どもの遺族らが、その日学校で何が起きたかを知るために裁判を起こし、勝訴判決を勝ち取っていくドキュメンタリー映画である。
あまりに衝撃的な事実と、行政側の対応のひどさ、何より、真実を求めて証拠や証言を集め続ける遺族の粘り強さによって、大川小での出来事は、多くのニュースやドキュメンタリー番組で取り上げられた。
だが、今年完成した映画『生きる~大川小学校津波裁判を闘った人たち~』は、ただ悲惨な事件を伝え、犯人捜しをするだけのものではない。子どもの命を預ける学校と言う場はどうあるべきなのか。どんな組織であれば子どもたちは死なずに済んだのか。二度とこのような悲劇を起こさないため何をしたらよいのか。未来に向けたメッセージになっている。