アイデンティティとしての姓との別れ

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2つ目は、アイデンティティとしての名前との別れ。

あぁもう、「笹森花菜」という奇跡のボタニカルネームは、戸籍上存在しなくなるのだなと思うと、とっても惜しかった。小学生3年の担任の先生からの年賀状に、「全部、草木に関係のある名前ですね」と書かれるまで誰も気づかなかったが、それ以降、私はこの名前が大好きだ。

道に迷ったときには、よく姓名判断もした。吉凶混合で、総画が大吉なフルネームはまさに、私そのものだった。

大好きな両親と別の名前になるんだなと、お風呂でひとり泣いた。5分だけ。たとえ、両親が別姓だったとしても、離婚して名前が別々になっていたとしても、両親のどちらとも違う名前になることは、彼らの子どもではなくなるような気がして寂しかった

この点に関しては、名前が変わったところで家族との絆はなんら変わりないと実証された。結婚してもしなくても、「お金送ってください」メールは相変わらず届くからだ。

ねだってくれている間は安心だと、意外なところでホストやキャバ嬢に入れ揚げる人の気持ちを知る。

バービーの父と母。写真提供/バービー