「家庭」「家族」への責任の刷りこみ

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高校生のとき、「家族は社会の最小単位」と習った。そのとき、あまり意味はわからなかった。今なら悪い意味で理解できるかもしれない。私にとってこの言葉の解釈は、「社会からの攻撃に立ち向かっていくチーム」だ

しかし、人によっては、家庭内に呪いの言葉を放つ人がいるパターンもある。そもそも、誰かから産み落とされた命であっても、たったひとりで社会に立ち向かっている個人だって多い。

家庭内が閉鎖された空間になってしまうのも、こういう言葉が教育の中にあって、刷りこまれているからなのではないだろうか。

こども庁をこども家庭庁にすべきという議論があるけれど、まさに「こどもは国がみるもの」というより「こどもは家庭でみるもの」という刷りこみにも感じる。こどもは国の宝と言う割に、責任は各家庭でと言っているようだ。

写真提供/バービー