日本一不思議な県境! 新潟県と山形県の間に食い込む福島県!?

人呼んで「へその緒」県境
中川 隆夫

そこには篤く信仰される神社が

なぜ、こんなシッポが伸びたような、蛇がうねっているような県境ができたのでしょうか。

「明治の時代に新潟県側の実川〈さねかわ〉村(現・阿賀町)と、福島県の一ノ木村(現・喜多方市)の間で県境争いがおこり、国の裁定で福島県の土地と裁可が降りたそうです。『へその緒』県境とも呼ばれていますよ」

詳しい歴史を知っている郷土史家がいると、紹介されたのが小沢弘道氏だ。「へその緒」県境の名付親だという。

 

「私は昔、山都町の役場に勤めていました。その町史を担当した関係で、土地の歴史を調べました。

でも、あの『へその緒』県境については、町史には載せていないんですよ。ちょっとしたこぼれ話みたいなもので、町の歴史というにはねえ……。

そこで、40年ほど前に地元銀行が出していた冊子のコラムで、この話を書いたことがあります。その時に『へその緒』と書いたのが最初です」

小沢氏は、「盲腸」にしようか、「へその緒」にしようかと少し悩んだらしいが、盲腸だとちょっと痛い感じがして違和感があるので「へその緒」にしたと、命名の経緯を語る。

「飯豊山神社とその参道は、会津藩の時代から一ノ木村が整備してきました。普通、県境というものは尾根伝いの分水嶺を境に分けられているものです。

ところがここは、信仰登山の参道となっていたので、尾根の分水嶺を単純に県境として分ける考え方にならなかった。会津藩の時代も明治維新になっても、参道という特別な場所だったのです。

しかし、新潟県と福島県の県境に接するいまの新潟県東蒲原郡が福島県から新潟県に移管されることになって、話がこじれたのです」

福島県から新潟県に村が移り……

この話をかいつまんで言うと、こういうことだ。

明治4(1871)年の廃藩置県の後、何度かの統廃合を経て明治9(1876)年に広大な福島県が誕生する。県庁は、人口では郡山に劣るものの、繊維産業の盛んだった今の福島市に置かれる。

しかし、当時はいまのように車や鉄道が発達している時代ではない。福島市は県の北東部の偏った地にあり、遠い町からは不便を極めた。

そのため、県庁の場所を県の中央に位置する郡山に移そうという運動が、明治15(1882)年に起こる。しかし、結局この移転は実力者らの綱引きで決着が付かず、4年後に県庁移転の話は消滅する。

同時に、福島市からも遠く不便との声が強かった東蒲原郡を、新潟県に編入させることで中央の内務省はお茶を濁したのだ。

そこで、東蒲原郡の実川村(現・阿賀町)が、飯豊山神社は我々の土地にあると主張。明治21(1988)年に『へその緒』の参道を新潟県の土地だと認めるよう国に申し立てた。

飯豊山神社は、一ノ木村から参拝道があるが、一般の信者が行けるのは、御西岳まで。さらにその西には修行僧などしか行けない奥の院とされた大日岳がある。そこが実川村にあたる。

一方の一ノ木村は、神社も参道もずっとこちらで管理してきた。渡すわけにはいかないと主張する。

このゴタゴタの収集には時間がかかり、明治40(1907)年現地調査が行われて、一ノ木村側の主張が認められることになった。こうして無事『へその緒』は福島県と認められたのだ。

「信仰登山の登り口は福島県側にあり、参道と神社の境内地・御西岳までを一ノ木村が管理してきた長い歴史が認められたようです」と小沢氏は言う。

小沢さんは、昔の地図を探しだし、少なくとも大正7(1918)年の地図にはこの『へその緒』が存在していたと言う。つまり、裁定からほどなくしてここは福島県と地図でも示されていた。

いまでは、地元でもこういう経緯を知る人は少ない。信仰登山も昭和30(1955)年前後を境に廃れていった。いまここを歩くのは、ごく普通の登山者だけらしい。

関連記事