――本作の大和は悪げなく殺人を犯していますが、本当は何を考えていたのかはわからないという印象です。

阿部:大和が殺人自体に快楽を覚えているのか、それともそこに至るまでの過程に快楽を覚えているのか、それはわからないですね。相手が言うことを聞き過ぎるとつまらなくなって、いたぶる。でも、いたぶっている時は楽しそうでもない気がして。こういう人物は「どういう人なのかな」と思っても正解が出て来ません。

「なぜ人は人を殺すのか」ということの答えを出せたら、殺人は止められるのかもしれません。でもその答えが出ないから映画を作ってお客さんに考えてもらうのかもしれない。そういうところに映画を作る意味があると思います。

『死刑にいたる病』より
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強い人は暴力を振るわない

――榛村は自分より弱い立場にある少年少女の心を支配して、自分に依存させようとしますが、この構図は社会のどこにでもあると感じました。

阿部:確かに、支配することに気持ちよくなっている人たちは見かけますよね。支配されるほうが拒絶しないからどんどんエスカレートすることもあると思います。

ただ、大和の場合は「支配」という感覚すらなかったかもしれません。ひたすら「自分の分身を作りたい」という気持ちだったのではないかと。「支配」の上を行っている感じですね。

『死刑にいたる病』より

――ちなみに、阿部さんは人に支配されたくないと思うタイプですか? それともその支配が心地よければそのままで良いと思うタイプですか?

阿部:どちらもあるかもしれないですね。でも、人を支配するのは絶対に嫌だと思うタイプです。人を支配するのは苦手です。支配されている方が楽ですね。ただ、それが楽だと感じていたとしても、少し逆らいたいと思う面もあるかもしれません。

そういう意味ではその場を作っている方、例えば、映画の監督は凄いと思います。主役をやると「座長」と呼ばれますが、どちらかというとそう呼ばれたりするのは苦手で……。自分が人を支配したがらないのは、人を怖がらないからかもしれません。例えば、人を暴力で支配する人がいますが、それはその人が他人を怖がるから、自己防衛として人を痛めつけようとするのではないでしょうか。強い人は暴力を振るわない気がします。弱いから人に暴力を振るうのではないかと