2022.05.18
# 本 # 格闘技

猪木が「アントン・ハイセル事業」のかたわら、私に見せた「沈黙という起爆剤」

【連載】〈小説のごとく奇なり〉アントニオ猪木 もう一つの貌 第三章(後編)
村松 友視 プロフィール

BI砲時代、イノキは無口だった

「カンジは、小さい頃は何も喋らないような子でしてね、今では信じられないくらいです。あまりにも自分の意見を言わないので、“ドンカン”って綽名がついたりしましてね。でも今は、別人のようになりまして」

ブラジルに残って暮らしている母上をたずねたとき、そう言ってうれしそうに笑っておられた。アントン牧場で、蟻のうごきや風の音について言葉を紡ぐイノキを、その母上によるイノキの幼少期への記憶は、私の中でたしかなる裏打ちとなったのだった。

母上が、東京にもっとも近いリゾート地的雰囲気のあった頃の川崎の住宅街に住んだ女性らしい、品のある東京言葉で話されるのを、私はうなずく気持ちできかせていただいた。

自分の意見を口にせず、“ドンカン”の綽名をつけられ、蟻のうごきや風の音、さらに星の瞬きに気を惹かれつつ感受性を育んだ果ての沈黙が、イノキの中におびただしく蓄積され、その沈黙がながい時の中で熟成して、ようやく外に向かって奔出されたのはいつの頃であったのか。

その答もまた、浮かんでは消えることをくり返すばかりだった。そしてその答を、私は今もつかめぬままなのだ。

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考えてみれば、力道山時代の修業中はもちろんのこと、ジャイアント馬場とのコンビでBI砲と名づけられて活躍した時期にあっても、リング上でマイクを手に取りアナウンサーの質問に答え、ファンにメッセージをおくるのはもっぱらジャイアント馬場の方であり、アントニオ猪木はその言葉が終わるや絶妙のタイミングで、ぐっと腕を突き上げパートナーの馬場とかるく握手をして、さっとリングを降りたものだった。

 

私がリング上で初めてアントニオ猪木の言葉らしい言葉に注目したのは、やはりジョニー・パワーズを破ってNWF世界チャンピオン(のちに“世界”の文字は消された)となった試合後のインタビューで、「こんなプロレスをやっていたら、十年もつわたしのプロレスラーとしての寿命が五年で終わるかもしれないんですが」と言ったあと、「これからはチャンピオンとして、誰の挑戦でも受けます」だった。

そのときから私の頭に、“こんなプロレス”とは何か、その言葉の裏側で確信犯的にほのめかされている“あんなプロレス”とは何か……という命題が棲みついたのであり、時をへて『私、プロレスの味方です』のテーマと結びついたりもしている。

ともかく、イノキの体の中に、恐ろしいほどの沈黙という起爆剤が沈み込んでいて、アントン・ハイセルにからむリサイクル事業と、イノキにとってのブラジル→日本→プロレス→ブラジルという矢印が円を描く、ブーメラン的発想を生み出し、そしてまたそこから発する壮大なロマンとエネルギーを生んでいるにちがいないのである。

(第四章につづく)
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