元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)

朝日新聞政治部(1)
鮫島 浩 プロフィール

私がどんな「罪」に問われていたか

巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。

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私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。

朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。

ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。

「なぜ泣いているの?」
「なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」

妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。

「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!

紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。

あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」

中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。

「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。

私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。

そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ!

政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。

しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。

私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。

そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ。

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