元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)

朝日新聞政治部(1)
鮫島 浩 プロフィール

日本社会がオールドメディアに下した判決

誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。

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「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。

マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。

木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。

私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。

私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。

世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。

この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。

登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。
第一章    新聞記者とは?    1994―1998
第二章    政治部で見た権力の裏側    1999―2004
第三章    調査報道への挑戦    2005―2007
第四章    政権交代と東日本大震災    2008―2011
第五章    躍進する特別報道部    2012―2013
第六章    「吉田調書」で間違えたこと    2014
第七章    終わりのはじまり    2015―
終章

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