元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)

朝日新聞政治部(2)
鮫島 浩 プロフィール

記者人生を決める「サツ回り」

新聞記者人生は大概、地方の県庁所在地から始まる。新人記者は県警本部の記者クラブに配属され、警察官を取材する「サツ回り」で同僚や他社の記者と競わされる。支局には入社1~5年目の記者がひしめく。同世代はみんなライバルだ

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私は違った。初任地は茨城県のつくば支局。大学と科学の街である。県庁所在地ではなく県警本部はない。他社に新人記者は一人もいなかった。大半は科学記者だ。朝日新聞つくば支局は科学部出身の支局長、科学部兼務の記者、新人の私の3人。畑が点在する住宅街にある赤煉瓦の一軒家に支局長が居住し、その一角が私たちのオフィスになっていた。

同期たちからは「まあ、気を落とすなよ」と言われた。彼らには私が会社員人生の初っぱなから「コースを外れた」と映ったようだ。すでに出世競争は始まっていた。サツ回りで評価された記者が政治部や社会部に進む新聞社の常識を、私は知らなかった。

1994年4月、私は水戸支局に赴任する同期のY記者と特急スーパーひたちに乗り込んだ。茨城県全域を統括する水戸支局長に着任の挨拶をするためだ。支局長は社会部の警視庁記者クラブで活躍した特ダネ記者という評判だった。

水戸支局は水戸城跡のお堀に面した通りにある。いちばん奥のソファに、彼は仰向けに寝そべっていた。黒いサングラスをかけ、白いエナメルの靴を履いた足を投げ出している。その姿勢を維持したまま、彼は少し頬を緩めボソボソと口を開いた。

「世の中の幸せの量は決まっている。Yの幸せはサメの不幸、サメの幸せはYの不幸」

訓示はそれで終わった。何が言いたいんだ、競争心を煽っているのか、とんでもないところに来てしまった、これが新聞社なのか……。

この水戸支局長、野秋碩志(のあきひろし)さんが私の最初の上司である。

Y記者は早速、3人チームのサツ回りに投入された。入社3年目の県警キャップと2年目のサブキャップのもとで徹底的にこき使われるのだ。昼間は県警記者クラブで交通事故や火災などの発表を短行記事にする。殺人事件や災害が起きれば現場へ向かい、関係者の話を聞いたり写真を撮ったりする。朝と夜は警察官の自宅を訪問して捜査情報を聞き出す。いわゆる「夜討ち朝駆け」だ。

当時携行させられていたのはポケベルだった。休日深夜を問わず鳴り続ける。警察官宅で酔いつぶれたキャップから車で迎えに来るように呼びつけられることもある。

県警発表を記事にするだけでは評価されない。未発表の捜査情報――「明日逮捕へ」とか「容疑者が~と供述」とか――を、他社を出し抜いて書く。これら特ダネは、警察官と仲良くなって正式発表前に特別に教えてもらうリーク型がほとんどだ。不都合な事実を暴く正真正銘の特ダネとは違う。

新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。

駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出る……。休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。

 

警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い。

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