元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)

朝日新聞政治部(2)
鮫島 浩 プロフィール

競わされる相手がいなかった

日本の新聞記者の大多数はこうしたサツ回りの洗礼を受け、そこで勝ち上がった記者が本社の政治部や社会部へ栄転していく。敗れた記者たちもサツ回り時代に埋め込まれた「特ダネへの欲求」「抜かれの恐怖」のDNAをいつまでも抱え続ける。

純朴で真面目なY記者は日々、明らかに憔悴していった。

私は違った。つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。

※画像はイメージです。 Photo by GettyImages

しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった。つくば市など茨城県南部の読者に向けて地域に密着した話題(いわゆる「街ダネ」)を県版に毎日写真入りで伝えることを期待された。カメラをぶら下げ、市井の人々と会い、日常のこぼれ話を来る日も来る日も記事にした。

27年間の新聞記者人生でこの時ほど原稿を書いた日々はない。当時はフィルム時代だった。つくば支局にはカラー現像機がなかった。私は毎日、白黒フィルムで撮影し、暗室にこもって写真を焼いた。

この記者生活は楽しかった。私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。

この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる。

 
登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は5月27日発売(現在予約受付中)。先行公開では紹介しきれない「朝日新聞崩壊の全内幕」が赤裸々に綴られています。
第一章    新聞記者とは?    1994―1998
第二章    政治部で見た権力の裏側    1999―2004
第三章    調査報道への挑戦    2005―2007
第四章    政権交代と東日本大震災    2008―2011
第五章    躍進する特別報道部    2012―2013
第六章    「吉田調書」で間違えたこと    2014
第七章    終わりのはじまり    2015―
終章

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