室町時代から、650年の長きにわたり一度の断絶もなく上演され続けてきた日本の伝統芸能・“能”。能楽師の安田登さんは、能が長く続いた理由の一つは、「初心」にあると考えています。世阿弥が伝える「初心」とは、「それを始めた時の初々しい気持ちを忘れない」という意味ではなく、「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わること」だと。安田さんはこうも言います。「能には、“いまのわたし”を作るために捨ててきてしまった様々な過去を鎮魂する力がある」――。かつて、安田さんの著書に救われたことがあるという俳優・石橋静河さんと一緒に、日本人が無意識に感応している“ほんものの美”について。世阿弥が芸に求め続けた“花”(=変化)の大切さについて思いを馳せました。前編に続き、後編をお届けします。

前編【能楽師・安田登×俳優・石橋静河が語る「日本人の身体」と「これからの時代」】を読む

(左)俳優・石橋静河さん、(右)能楽師・安田登さん
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“こころ”とは意識、“思い”とは無意識である

意識と無意識のあわいのからだ。「あはれ」のからだ。「こころ」は変わる。「おもい」は変わらない。

安田さんによれば、能とは「“心”の芸能」ではなく「“思い”の芸能」であるという。

安田「心というのは、心臓が刻一刻と鼓動を刻むように、刻一刻変化するものです。だから心は迷う。でも、その感情を生み出す心の奥底にある“思い”は不変です。たとえば、大切な人を失った欠落感があったとして、それが一時的に埋まっても、また何かの拍子にぽっかりと穴が開いて、また何かを求める。それが“思い”です。“こころ”とは意識であり、“思い”とは無意識であるというのが近いかもしれません。ただし、イコールではありませんが。その無意識の“思い”を共有できるのが能の醍醐味と言えるでしょう」

観客の無意識の海に浮かんでいるように建つ能舞台は、観客や役者とのあわいにあって、人々の“あわい”である“思い”を引き出す。石橋さんが下の写真の撮影で、安田さんは、「海人(あま)」の謡を謡った。石橋さんに表現してもらったのは、「あはれ」という思いだ。

ドレス ¥55000(HYKE/BOWLES☎03-3719-1239) パールイヤリング ¥11000(ete☎0120-10-6616) ブーツ ¥41800(ph7+☎03-6555-2677)

石橋「撮影の前に、自分の命を犠牲にしてまで子を思う母の物語だと伺ったので、自分のお腹の辺りにある子宮を意識して舞いました。自分は母親で、目の前に海があって、龍がいる。内にある身体感覚と頭の中に浮かんだイメージをつなげていく、コラージュのような作業でした。動きとしてのボキャブラリーが少ないことが恥ずかしいんですが、無意識の自分が出ていたとは思います。『どうぞ、見て』という意識はなかったです」その動きは、天に向かって螺旋を描いているかのようにも見えた。

安田さんも、「能の舞は、人に見せることを意識していません」と話す。

安田「大事なのは、没入して、何かと一体化すること。陰陽で説明すると、能の動きは前に出ることが陽、下がると陰。次に左に出て陽となる。ただ、陰陽の動きを繰り返すことで、自分の身体の陰陽を整える。そうすると天の陰陽も整うという考え方なのです」

演者:加藤眞悟 撮影:前島吉裕

「海人」石橋さんが安田さんの謡に合わせて舞ったのが「海人」。藤原房前が、幼少の頃に亡くした母の菩提を弔うために讃岐国を訪ねると、その浦の海人は、自分が房前の母だと言い、龍宮に奪われた宝を取り返した経緯を語る。房前が妙法蓮華経で母の追善供養をしていると、龍女に姿を変えた母が現れ、供養に感謝するという物語。自分の命を犠牲にしてまで、子の栄達を願う母の「おもひ」。安田さん曰く、能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、能を演じることは、その「おもひ」を解凍していく作業なのだとか。