『15の夜』『I Love You』『シェリー』『僕が僕であるために』『クッキー』……。今も歌い継がれる、伝説のシンガーソングライターである尾崎豊さん。彼が26歳の若さでこの世を去ったのは1992年4月25日のことでした。

結婚して4年。3歳になる息子を抱え24歳で夫を失った尾崎繁美さん。愛する夫の突然の死に戸惑い混乱しながらも、夫が作った会社の存続、小さな息子のケア、そしていわれのない執拗なバッシング……。「遺族」となった繁美さんはあまりに重たい荷物を背負うこととなったのです。

2022年4月25日は30年の命日でした。それまで長い間口を閉ざし、夫の名誉と一人息子を守り続けてきた尾崎繁美さんが、夫との思い出とともに、これからの自分について語った記事が公開されると、まだ20代前半だった繁美さんに集まった誹謗中傷への驚きや、それでも前に進んできた繁美さんへの応援の声が多く寄せられました。

連載第2回は、息子の尾崎裕哉さんに、父親の死について尋ねられ話したいきさつを前編でお伝えしました。後編では、豊さんの遺書への繁美さんの想いと、24歳で最愛の夫を失い、まだ3歳の子どもを抱えながら、他殺説などの誹謗中傷に耐え続けてきた出来事を振り返ってもらいます。

※以下より、尾崎繁美さんのお話です。

 

私と息子に宛てたメッセージ

「一緒に死んでもいいと思える人と出会えて、ママは幸せだったね」
豊の「遺書」が載った文藝春秋の記事を読んだ裕哉は、私にそう声をかけてくれました。

裕哉を授かる1ヵ月ほど前のことです。私に対する異常な独占欲と嫉妬心を抑えられなくなっていた豊は、「俺のために死ねるか」と私に聞いてきたことがありました。私はためらわず、「死んでからもずっと一緒にいようね」と言って、豊と一緒に大量の睡眠薬を飲みました。

今、思い返せば、他の誰も理解できない、滅茶苦茶なことをやっていたと思います。もちろん、その行動そのものは決して正しいものではないと思いますし、多分あのカラフルな大量の錠剤はすべてが睡眠薬ではなく、彼は私が「自分のために死ねるのか」を試したかっただけだったのでは、とも感じます。ただ、はっきりと言えるのは、彼との日々で教えられたことのひとつは「究極の愛」であり、「自己犠牲の精神」そのものでした。

だから私の思いを記事から汲み取った裕哉が、「ママは幸せだったね」と言ってくれたそのことが、私にはとてもうれしかったのです。

繁美さんに向けて『シェリー』を歌う尾崎豊さん。写真提供/尾崎繁美