2022.06.02

いわば「正社員」と「非正規社員」…旧日本海軍の「面倒極まりない人事制度」が戦後に残したもの

多くの戦争体験者へのインタビューを重ねてきた筆者は時おり、ドラマやドキュメンタリーなど、テレビ番組の考証にも携わることがある。軍人が登場する場合、その人物の背景や人事制度を踏まえなければ衣装も決められないからだ。何気ないシーンの裏に隠された面倒極まりない海軍の人事制度とは――。

<【前編】「大佐」の読み方は「たいさ」ではなく…旧日本海軍の「不思議な慣習」>に引き続き、海軍の人事制度と制度がもたらした弊害について語る。

海軍技術中尉の襟章(上)と技術少尉の肩章(下)。筆者の親戚がつけていたもの
 

騙されたと気づいても、ときすでに遅く…

昭和12(1937)年、予科練の受験資格を中学4年1学期修了程度に引き上げ、基礎教育期間を短縮して進級も早め、短期間に小隊長クラスの特務士官に任用する「甲種予科練習生(甲飛)」が発足した。

このとき海軍は、「航空士官募集」と大々的に宣伝、甲飛に入れば海軍兵学校に準じた扱いを受け、短剣を吊ったスマートな海軍士官になれると勘違いした少年たちがこぞって志願した。

甲飛一期生のなかには、海兵に合格していたのに、早く飛行機に乗りたい一心で甲飛を選んだ者さえいる。志願した少年たちは、海軍の正規将校と特務士官の差別のことなど知らないし、最初は最下級の「四等航空兵」からスタートすることなども聞かされていなかったのだ。

海軍兵学校に準じる扱いを受けられると信じた甲種飛行予科練習生、スタートは最下級の四等航空兵からだった。写真は佐々木原正夫氏。入隊後2ヵ月で一等航空兵に進級している

入隊して、詰襟の海兵生徒の制服ではなく水兵服(セーラー服)を渡された彼らは、そこで初めて騙されていたことに気づく。だが、ときすでに遅し。甲飛は学校への「入校」ではなく航空隊への「入隊」だから、取り消すことはできない。

昭和13(1938)年に入隊した三期生は、組織的に出身中学の後輩たちへ「海軍は俺たちを騙している。絶対に甲飛にはくるな」という手紙を出し、待遇改善をもとめて前代未聞のストライキを起こした。のちに予科練の制服が、水兵服から七つ釦の詰襟に変ったのはこのことが原因になっている。朝ドラ「おひさま」の茂樹は、甲飛四期から戦闘機乗りになったという設定だった。

甲飛制度は、入隊した者たちに「海軍に騙された」と落胆を与えたが、同時に、先にあった予科練が甲飛の発足とともに「乙種飛行予科練習生(乙飛)」と改称されたことで、乙飛の練習生たちにも屈辱を感じさせた。甲、乙、丙、というのは、当時は通知表の成績や徴兵検査にも使われ、一般に上下や優劣を示す表記だったからだ。しかも甲飛がなかった頃の予科練には旧制中学を卒業して志願する者もいて、実質的な学力では甲飛も乙飛も差がなかったからなおさらである。

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