2022.06.02
# アメリカ

「ロー対ウェイド事件判決」をくつがえす判決の草稿、そこには何が書かれていたのか?

阿川 尚之 プロフィール

阿川 プロチョイス派の活動家たちの一部は、ワシントン郊外の住宅地にある保守派判事の家の前で、抗議のデモを行い、ロー判決否定に反対のプラカードを掲げ、シュプレヒコールを上げています。プロライフ派とプロチョイス派のデモは珍しくありませんが、判事の家の前での抗議活動はこれまた前代未聞です。

こうした現象を、大部分の最高裁判事は実に嘆かわしいことだと感じているようです。自らはロー判決をくつがえすべきだとの意見を有するトマス判事は、草稿流出事件は、最高裁に対する信頼を著しく損なった、損害は計り知れないと、司法関係者の会合で表明しました。実際、世論調査の結果によれば、伝統的に高かった国民の最高裁に対する信頼度が、近年少しずつ低下する傾向が見られます。流出事件は、その傾向にさらに拍車をかけるでしょう。

連邦最高裁の前で行われた、流出した判決草稿に反対するデモ〔PHOTO〕Gettyimages
 

この事件の結果、本来静かな環境の中で判決文の作成に当たるべき最高裁判事たちは、現在プロチョイス派からの大変な政治的圧力にさらされています。故スカリア判事は、1989年に最高裁が下したウェブスター事件という中絶に関する別の判決で個別の意見を著し、ロー判決を明確にくつがえさないために、「われわれのもとに、国民からたくさんの手紙が寄せられるだろう。通りはデモ隊で満ちるであろう。(中略)最高裁が国民の声にしたがうよう迫るだろう」と予測しました。

ケーシー判決の約2年前、日本の雑誌に頼まれ私がスカリア判事に最高裁の執務室でインタビューした時も、「最高裁の判事に陳情の手紙を書く人たちは、本気で私が彼らの意見に耳を傾けると思っているのだろうか」と嘆いていました。国民の投票で選ばれず終身その地位に留まる最高裁判事は、国民に対して直接責任を負わないのだから、「彼らの声に左右されず、静かに憲法解釈に専念するべきだ」と力説しました。

それから約30年、司法の政治化はさらに進み、ずっと深刻になったように思われます。

しかし保守派の判事たちは猛烈な政治的圧力にさらされているために、かえってそれに屈せず、自分たちが政治からは独立した機関であることを示すために、結束してロー判決をくつがえすのではないか。そんな予感もします。そしてアリート判事が草稿で主張する通り、ロー判決をくつがえして中絶の規制をそれぞれの州の政治過程に委ねるのが筋であろうと、私も思います。

そうすれば、カリフォルニアのような比較的進歩的な州では比較的自由に引き続き中絶ができ、テキサスのような保守的な風土の州では、より厳しい規制が妊娠中絶に課されることになる。それでいいではないか、という考え方です。

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