2022.06.03
# 学校・教育

失敗を避ける大人たちが生んだ、未来への閉塞感

新失敗学 正解をつくる技術(1)
「決められた正解を素早く出す」ことが優秀な人とされた時代から「自ら正解をつくる」ことができる人の時代へ。「正解がいくつもある時代」になった今、自分たちで正解をつくっていく必要がある。そして自分たちで正解をつくるとは、仮説ー実行ー検証を回していくことにほかならない。そのためのポイントを丁寧に解説、これから私たちが身につけるべき思考法を明らかにした書籍『新失敗学 正解をつくる技術』から注目の章をピックアップしてお届け。

自ら考えて答えを出さざるを得ない時代になった

私は、ここ20年以上、さまざまな企業や大学で、失敗について研究する失敗学や創造のための思考法を教えてきました。その一方で、日本の産業の行方と生き残りの道を探るために、仲間たちと一緒に国内外の産業を観察し、また関係者と議論を続けてきました。

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私はこうした活動を通じて、日本の産業の近年の長い低迷の根本原因に、私たちの社会が「これが正しいとしてきた考え方」そのものに限界があるのだと考えるようになりました。私たちは、歴史的に培われてきた考え方――「正解」がどこかにあり、それに従って真面目にやっていれば大丈夫という考え方――があるという文化に染まっているのです。しかも自分たちではそのことに気づいていません。

いま私たちは、好むと好まざるとにかかわりなく、正解はどこかにあるものではなく、自ら考えて答えを出さざるを得ない位置に立たされています。そして多くの人がその状態を前にして、途方に暮れているように見えます。

この「自ら考えて答えを出す」ことは、必ず失敗がセットになっています。もともと私が提唱してきた失敗学の基本的な考え方は、失敗を忌み嫌うことなく、ちゃんと向き合ってそこから積極的に学ぼうということにあります。拙著『失敗学のすすめ』(講談社)を出したのは2000年ですが、当時はそうした失敗のプラス面に注目した考え方は新鮮だったようで、「なるほどこんな見方もあるのか」とおもしろがってくれる人たちがたくさんいました。

 

2011年3月、戦後の日本最大の失敗ともいえる東日本大震災による福島第一原発事故が起こりました。この失敗はまさしく、先ほど指摘した、従来型のどこかにある正解を求める思考に起因するものだったと私は見ています。この大失敗を機に、失敗学の考え方にあらためて注目する人もいましたが、そうしたものも含めて、当時は「このままではいけない」と真剣に論じる声が多く聞かれました。あのとき日本は取り返しのつかない大失敗をしてしまいましたが、一方でこれをきっかけに日本は大きく変わると予感した人も多かったと思います。

しかしその後の2010年代はどうだったでしょうか? 大きく変わるどころか、従来型の思考や手法からまったく抜け出せずにやってきたように私には見えます。一方で世界は大きく変わりつつありますが、そうした流れにさえ背を向けて、自分たちからは動こうとしませんでした。その結果、徐々に衰退することになってしまったのに、そうした自分たちの実像から目をそらして、「日本はじつはすごい国なんだ」と自画自賛しながらノスタルジーに浸っていたのではないでしょうか。

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