2022.06.05
# 戦争

ミッドウェー海戦「運命の五分間」という、“無能な司令部”が喧伝した「責任逃れの欺瞞」

神立 尚紀 プロフィール

「運命の五分間」という欺瞞

いっぽう、日本側の動きを事前に察知していた米軍は、南雲機動部隊の位置を発見すると即座に、ミッドウェー島に配備された爆撃機と、空母に搭載された雷撃(魚雷攻撃)機、急降下爆撃機で日本艦隊に波状攻撃をかけてきた。

護衛戦闘機もつけずに低空から来襲した雷撃機は日本艦隊に決死の攻撃をかけるが、空母「ホーネット」雷撃隊は15機全機、「ヨークタウン」隊も12機中11機、「エンタープライズ」隊は14機中9機と、ほとんどが空母上空を守っていた零戦に撃墜される。だが、零戦隊や空母の見張員が低空に気を取られている間に、雲の間隙を縫って上空から急降下してきた急降下爆撃機が投下した爆弾が、空母「加賀」「蒼龍」「赤城」に次々と命中したのだ。

空母「赤城」
空母「加賀」
空母「蒼龍」
 

「加賀」に初弾が命中したのが午前7時23分(日本時間)。各空母では、爆弾を搭載した九九式艦上爆撃機や魚雷を搭載した九七式艦上攻撃機が燃料を満載して、まさに格納庫から飛行甲板に並べられようとしていた。さらに格納庫内には、目標変更の際に取り外された爆弾が信管をつけたまま放置されている。被弾とともにそれらが誘爆を起こして大火災となった。

当時「赤城」飛行隊長だった淵田美津雄中佐、第二機動部隊で参謀を務めていた奥宮正武中佐が戦後、著した『ミッドウェー』(日本出版協同・1951年)のなかで、「運命の五分間」、つまりあと5分あれば日本側の攻撃隊が発艦できた、という主旨の記述がある。

この本がその後の戦記や映画におよぼした影響は大きく、いまだにミッドウェー海戦と言えば「運命の五分間」ということが定説であるかのように語られるが、じっさいには「運命の五分間」などなかった。防衛庁防衛研修所戦史部の公刊戦史『戦史叢書43ミッドウェー海戦』(朝雲新聞社・1971年)も、第一航空艦隊の戦闘詳報をもとに、

〈この時点で攻撃隊の発艦準備は終了していない。〉

と述べているし、このことは当事者たちの回想からも明らかである。淵田、奥宮両氏には、惜敗ぶりをアピールすることで司令部の責任をいくぶんでも軽くしようという意図があったのだろうと思われる。

SPONSORED