2022.06.08

【ミッドウェー海戦】沈みゆく空母「加賀」を見て、そのとき乗組員は何を思ったか…。

いまから80年前の昭和17(1942)年6月5日、それまで無敵を誇っていた日本海軍は、ミッドウェー海戦で、南雲忠一中将率いる「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の主力空母4隻を撃沈され、開戦以来はじめての大敗を喫した。

圧倒的に優勢な戦力を擁しながら、劣勢のアメリカ艦隊に敗れたこの戦いが、「あの戦争」の一つのターニングポイントになったことに、議論の余地は少ないと思う。この海戦に参加した隊員たちのほとんどはいまやこの世にないが、筆者の27年間におよぶ取材アーカイブから80周年を機にミッドウェー海戦を振り返る。シリーズ第2回は、この戦いに「艦隊の目」ともいえる索敵機の搭乗員として参加した男の回想である。

後編となる本稿では、<【前編】信号文も知らない「無能司令部」に、ミッドウェー敗戦の責任を負わされた「索敵機搭乗員」>に引き続き吉野の生涯を語る。

「運命の五分間」というが…

『ミッドウェー』には、また、

〈運命の五分間――赤城、加賀、蒼龍被弾〉

と題する一節がある。兵装転換が終わった空母の飛行甲板に準備のできた飛行機が並べられ、いよいよ出撃、というときに敵急降下爆撃機の爆弾を受け、「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻の空母が瞬時に被弾した、というものである。

〈あと五分で攻撃隊全機の発艦は終わる、

 ああ運命のこの五分!〉

と劇的な表現で記されているが、結論を言えば、これも真っ赤なウソである。

索敵任務を終えた吉野治男一飛曹の九七艦攻が、味方艦隊を水平線上に認める位置まで帰ってきたところ、はるか前方を、小型機が1機また1機、低空を東の方向に飛んでゆくのが見えた。味方機ではない。吉野は胸騒ぎを感じた。

真珠湾に向け荒天の北太平洋を航行する空母「加賀」(左)
 

「『加賀』の上空に着いて着艦の発光信号を母艦に送ると、間もなく着艦OKの旗旒(きりゅう)信号があり、着艦しました。7時5分のことです。着艦できたということは、このとき飛行甲板は空だったということです。搭乗員室に入るところの、飛行甲板脇のポケットに仲間の搭乗員が大勢出ていて、口々に、私が着艦する直前に敵雷撃機の攻撃を受けたが、魚雷は全部回避したこと、敵機のほとんどを上空直衛の零戦が撃墜したことなどを話してくれました。

搭乗員室に入って飛行服を脱いでいると、突然、対空戦闘のラッパが鳴り響き、真下にある副砲(「加賀」の両舷側後部には20センチ砲が5門ずつ装備され、それを乗組員は「副砲」と呼んでいた)が、轟音を上げて発射された。敵雷撃機の来襲です。私は、飛行服の下に着ていた白い事業服のまま、あわてて先ほどのポケットに飛び出しました」

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