映画『スープとイデオロギー』ヤン ヨンヒ監督が描く在日コリアン「家族の物語」最終章

なぜオモニは北朝鮮を信じ続けたのか

オモニが語った「済州4・3事件」の実体験

「怖かったで……あっちこっちから射撃の音がバァン、バァン……チェジュド(済州島)のオモニ(母親)たち、たくさん殺されたで」

「学校の運動場に強制的に引っ張っていって、みんな並べて、機関銃でダダダダダッ……」

©PLACE TO BE, Yang Yonghi

2011年、大動脈瘤の治療で入退院を繰り返していたヤン ヨンヒ監督のオモニ、康静姫(カン ジョンヒ)さんは、病院のベッドの上で、63年前に自らの眼前で繰り広げられた凄惨な光景を話し始める。彼女は“韓国現代史上最大のタブー”といわれる「済州4・3事件」のサバイバーだった——。

朝鮮総連の活動家で、北朝鮮を信じ、支持する両親との葛藤を描いた『ディア・ピョンヤン』、北朝鮮に渡った兄たちへの思慕と、家族を支配するものへの怒りを込めた『かぞくのくに』。これら前2作品に次ぐ、ヤン ヨンヒ監督による、朝鮮半島と日本の歴史に翻弄される在日コリアン「家族の物語」の最終章ともいえるドキュメンタリー、『スープとイデオロギー』(6月11日から東京、大阪、以降、全国の劇場で順次公開)は、こんなシーンから始まる。

後に詳述するが、「済州4・3事件」とは、第二次世界大戦後の米軍政期(1947年)に起こり、朝鮮戦争勃発後(1954年)に至るまでの7年7ヵ月にわたって、韓国本土の警察や軍隊などによって、済州島全域で行われた大量虐殺事件だ。

その済州島と深い関係にあるのが、大阪で、かつて「猪飼野(いかいの)」と呼ばれた地域である。大阪市生野区から東成区にまたがる平野川一帯を指し、今もJR鶴橋駅から桃谷駅にかけて、日本最大のコリアタウンが広がる。この映画の主役である、ヨンヒ監督のオモニ、康さんはここで生まれ、育った。

 

旧植民地時代、大阪と済州島を結ぶ定期直行船「君が代丸」が就航していたことから、済州島民が多く渡航し、猪飼野に住み、土木工事の現場や零細工場などで働いていた。

1945年の日本の敗戦、朝鮮半島の解放後には、大部分の済州島出身者が故郷に戻ったが、前述の「4・3事件」によって、多くの住民が、済州島から猪飼野へと逃れてきた。

康さんもその一人だった。45年の「大阪大空襲」の後、当時15歳だった康さんは、両親の出身地である済州島に疎開していたが、その2年後には4・3事件の渦中に巻き込まれる。かつての婚約者を事件で失った康さんは、幼い弟妹たちを連れて、島から脱出。「密航船」で猪飼野に戻ったという。

そして帰国後、同じ済州島出身で、のちに朝鮮総連大阪本部の活動家となるヨンヒ監督のアボジ(父親)、梁公善(ヤン コンソン)さんと結婚し、ヨンヒ監督を含め3男1女のオモニとなるのだ。

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