『源氏物語』は「偉大な古典」か「後世への害物」か

古典と戦争から見る、学問の「有用性」の脅威
今や誰もが古典の授業で教わり、日本の代表的な古典文学として受容されている『源氏物語』。5月には、2024年の大河ドラマの題材にも決まりました。
しかしかつて、この作品が「戦争遂行の役に立たない後世への害物」として糾弾された時期があったことをご存じでしょうか? 日本古典文学が専門の藤巻和宏さんが、『源氏物語』と政治との関係の歴史から、政治が「役に立つ」学問を求めることの危険性を解説します。

戦争の役に立たない『源氏物語』

キリスト教の伝道者であり、日露戦争(1904~05年)に際して非戦論を唱えた内村鑑三は、一般には平和主義者と認識されているだろう。しかし、彼は日清戦争(1894~95年)の時点では主戦論者であり、開戦直前には、キリスト教青年会(YMCA)第6回夏期学校での「後世への最大遺物」と題する講演で、戦争遂行の役に立たない『源氏物語』は「後世への害物である」と糾弾した。曰く、「『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか」、「われわれを女らしき意気地なしになした」、「文学はわれわれが戦争するときの道具である」と。

これは、内村独自の見解ではない。近代日本が初めて臨んだ対外戦争。国威発揚の熱気のなかで、『源氏物語』は多くの知識人により、このような烙印を押されてしまったのである。現代においても「古典は役に立たない」という言葉をよく耳にするが、我々は「役に立つ」という言葉に潜む政治性について、もっと自覚的でなければならない。

このたびのロシアによるウクライナ侵攻により、にわかに戦争が身近に感じられてきた。こうした時勢に際会し、かつて戦争を煽る文脈で古典文学が利用されていた事例から、戦争と文学、さらには政治と学問という問題について考えてみたい。

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解釈され、更新される『源氏物語』

成立から900年近くを経て、『源氏物語』がこのような解釈をされるとは、紫式部は夢にも思わなかっただろう。文学を研究するには、作者の思想や成立時の歴史的背景を分析するだけでなく、それが後世どのように享受されたかという視点も重要である。

 

『源氏物語』に限ったことではないが、印刷技術のなかった時代に書かれた作品が多くの読者を得るには、書写により複製されることが前提である。一字一句正確に書き写される場合もあるが、意図せずに、あるいは意図的に異なる内容の写本も作られる。『源氏物語』もそうだが、平安時代の作品で原本(作者自筆本)が伝わるものはほとんどなく、後世の写本からその内容を推測するしかない。多くの人々に読まれた『源氏物語』は、伝存する写本の数も多く、しかも内容がそれぞれに異なるため、それらを突き合わせて新しい本文が作られた。現在一般に読まれている『源氏物語』は、鎌倉初期に再構築された本文に基づいている。

ところで、平安中期に成立した『源氏物語』も、平安末期にはもはや「古典」であった。難解で長大な古典を読み解くために、藤原伊行(ふじわらのこれゆき)は注釈書『源氏釈』を著した。これ以降、多数の『源氏物語』注釈書が現れ、室町時代以降には『源氏大鏡』(作者不明)をはじめ梗概書も作られた。江戸時代の国学者による『源氏物語』研究も、こうした研究の蓄積のうえにあると言ってよい。

また、フィクションの物語を描くことは、仏道の教えに背く「狂言綺語(きょうげんきぎょ)」の罪であるとされ、紫式部が地獄に堕ちたとする思想が平安末期頃から現れてきたが、地獄で苦しむ紫式部を救うため、「源氏供養」という法会(ほうえ)が開かれた。室町時代には、『源氏物語』に描かれなかった光源氏の出家と死、そして薫たちの後日譚を、続編の体裁で描いた偽書『雲隠六帖』が作られる。

絵画化され絵巻・絵本・屏風などの形態となったり、能・浄瑠璃・歌舞伎等の芸能にも題材を提供したり、『源氏物語』は文字だけでなく様々なメディアを通して姿を変えていく。江戸末期には柳亭種彦により、『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』という絵入りの翻案小説が刊行され、大ヒットした。

こうした多種多様の享受の様相からも、『源氏物語』が時代を超えて多くの人々に読まれていたことがわかるだろう。このように、古典は読まれることによって姿を変え、価値が更新されていくのであり、その展開相はとうてい作者一人の思想に収斂するものではない。

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