中国の統治システムを作ったのは、漢民族ではなくモンゴル系だった

律令制も、「科挙」も、均田制も
宇山 卓栄 プロフィール

隋と唐の建国者はモンゴル人の出身

北方遊牧民には高度な文明の創造力があり、漢民族にはそのような創造力がなかったため、征服されたのです。北方遊牧民は確かに略奪者であったかもしれませんが、粗野で文明化されていない野蛮人であったわけではありません。北方遊牧民に対する先入観を捨てて中国史やアジア史を見直さなければ、その本来の姿が見えてきません。

歴史の実態として、中国はほとんどの時期において北方遊牧民のもので、彼らこそが中国王朝の推進者であり、漢民族はそれに付随していただけの周辺的な存在に過ぎません。北方遊牧民の優れた発想や進歩的思考がどのように中国を変えたのかという視点について、検証してみましょう。

隋(581~618年)や唐(618~907年)は中華帝国ではありません。隋や唐をつくったのは漢民族ではないからです。隋の建国者の楊氏も唐の建国者の李氏も、鮮卑族というモンゴル人の出身です。隋や唐という中国を代表する王朝が漢民族の王朝ではないということに対し、中国人史家の中には、これを否定する見解を持つ人もいますが、日本の中国史家の宮崎市定氏が隋・唐が鮮卑系であるとの見解を戦時中に発表して以降、この見解が世界の学界の定説となっています。いくつかの高校世界史教科書でも、この見解を取り上げています。

 

また、隋や唐は自分たちが異民族の出身者であることを隠そうとしたこともあり、彼らの出自に関する詳細な記録を残していませんが、その系譜から見て、彼らが鮮卑族であることは否定することのできない事実です。

3世紀の三国時代から中国は戦乱が続き、疲弊していました。4世紀にはモンゴル人やチベット人などの異民族が中国に度々、侵入していました。モンゴル系の鮮卑族が386年、華北(中国北部)に北魏を建国します。これ以降、華北のモンゴル人王朝と江南(中国南部)の漢民族王朝が並行して存在する南北朝時代となります。約200年間、華北を支配し続けた鮮卑族から隋や唐を建国する人物が出て、中国を代表する強大な王朝を形成するのです。

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