2022.06.20

「中国北部・朝鮮半島から文明が日本に渡来」説は根拠のない創作

教科書が軽視する「長江文明」が稲作を伝えた
日本の教科書が教えてきたアジア史は、いわば中国中心の見方だった。「殷、周、秦、漢、三国、晋…」と、紀元前からの中国の王朝名を中学一年生で暗記させられた経験は誰でもあるだろう。しかし、それではアジア全体の歴史のダイナミズムを感じ取ることはできない。アジア史はもっと雄渾で、さまざまな民族が闘争を繰り広げてきた。彩り豊かなその歴史を、民族・宗教・文明に着目して世界史を研究する宇山卓栄氏の新刊『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)からおもに日本と中国、朝鮮半島との関係について連載でご紹介する。今回はその三回目だ。→ 二回目はこちら

「世界四大文明」は中国の創作

エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明の4つを「世界四大文明」とする括り方は恣意的に創作されたものです。「四大」などと誰が決めたのでしょうか。それを決めたのは中国の思想家の梁啓超です。梁啓超は1898年、変法自強運動で清王朝の改革を進めようとしますが、戊戌の政変で西太后に弾圧され、康有為とともに日本に亡命しました。

梁啓超は自らの詩集『二十世紀太平洋歌』で「地球上の古文明の祖国に4つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と記しています。梁啓超ら中国の進歩派知識人たちが「世界四大文明」という概念を意図的に広め、中華の優位性を再確認しようとしたのです。

しかし中国では、黄河文明とともに長江文明も栄えており、稲作が盛んであったことを示す遺跡が1970年代以降、浙江省余姚市の河姆渡遺跡などをはじめ、多く見つかっています。日本の稲作も長江流域から直接伝わりました。長江文明は黄河文明に匹敵するような豊かで巨大な文明であったにもかかわらず、教科書や一般の概説書では、ほとんど扱われていません。なぜでしょうか。

 

第一に、黄河文明を擁した漢民族こそが中国唯一の文明の発現者であるとする定型的な中華思想の歴史理解の中で、長江文明の存在を教科書などで意図的に扱わなかった、あるいは扱いたくなかったということが背景としてあるでしょう。高度な文明を持つ北方の漢民族が南方の長江流域の「未開の地」を文明化するという構図の中で、黄河流域を本拠とする秦以降の中国の歴代統一王朝が南方を征服支配したことの正当性が強調されるのです。

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