「うまくいくことなんて、ひとつもない」あなたを“成功”の呪縛から解き放つ考え方

絶対悲観主義(1)
みなさん、がんばりすぎていませんか?
そんなに心配することはありません。なぜなら、こと仕事で自分の思い通りになることは、ほとんどないから。

この身も蓋もない「真実」を直視して、成功の呪縛からもっと自由になろう。そうすれば目の前の仕事に対し、もっと気楽に、淡々とやり続けることができる。
著者が実践してきた「GRIT無用、レジリエンス不要」の仕事の哲学『絶対悲観主義』から注目の章を特別公開!

出力八割作戦

中学生時代に、柔道部に所属していたことがあります。ミッド昭和の中学校では部活動が学校生活でのアイデンティティになっていました。当時からスポーツにはまったく興味はありませんでしたが、部活動をしていないと学校生活で居場所がなくなる気がして、消去法で柔道部に入ることに決めました。一人でやるのがスキで、チームプレーが苦手。体も大きかったし、個人競技なので、ま、イイかな、というだけの理由です。

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それでも部活は部活。しかも武道です。今から思えば、錯乱していたとしか言いようがありません。先輩後輩の上下関係とか、「声出していけよ!」とか、集団としての規律には厳しいものがありました。乱取りという練習試合のような稽古があります。寝技になると闘争心むき出しで、耳元で「死ね……」とか言ってくる同級生がいました。寝技から抜けるためにジタバタするのも面倒な僕は、押さえ込まれながら「こいつとは気が合わないな……」とぼんやりと考えていました。自分には向いていないことがイヤというほど判明し、自然と幽霊部員になりました。

柔道部での暗黒経験は自分を知るうえでとても役に立ちました。闘争とか競争とか勝ち負けというものに対して、まるでモチベーションが湧かない。頑張りが利かない。根性がない。自分の性格的特徴──あっさり言えば弱点──に気づかされました。

その一方で当時の僕が痺れていたのは、映画『007』のジェームズ・ボンドです。どこに痺れたかというと、常に余裕綽綽なところ。危機一髪の窮地に立たされても、平然としている。何事もなかったかのように危機をすり抜けて相手をやっつける。ちょっと片方の眉を上げるだけで「はい、おしまい」──とんでもなくカッコいいと思いました。

ジェームズはなぜ余裕があるのか。それはとてつもない能力と胆力があるからです。あるタスクを遂行するのに必要な能力が100だとしたら、ジェームズは軽く200は持っている。余剰分の100が余裕綽綽を生む。

もちろん僕にそんな能力はありません。それでも何とか「余裕綽綽感」だけは出したい──あきらめきれない僕は、この矛盾を乗り越える革新的な方法を編み出しました。出力八割作戦です。すなわち、100の力が必要なところで80しか出さない。主観的には余裕綽綽です。

腹八分は健康にイイのですが、出力八分には重大な難点がありました。「うまくいかない」ということです。本人は余裕綽綽のつもりでも、客観的には力を抜いているだけ。簡単なことならまだしも、ちょっと難易度が上がると、うまくいくはずもない。それでも出力八割作戦には強力な利点がひとつだけあります。失敗しても、「ま、全力出してないから……」という言い訳が効く。ようするに、僕はただの駄目なヤツでした。

社会に出て、当然のことながらしっぺ返しを食らいました。さまざまな失敗を繰り返し、世の中の厳しさを知りました。それでも頑張りが利かない根性なしの性格はなかなか変わりません。そう簡単には変わらないものを性格と言います。克己とは無縁の人生を流されるように生きてきました。

出力八割作戦は僕の性格には適っているのですが、仕事の世界では通用しません。駆け出しの時分は何をやってもうまくいきませんでした。ナポレオンは「余の辞書に不可能の文字はない」と言いましたが、僕の場合、「余の辞書に可能の文字はない」──自分には何も達成できないのではないか、という漠然とした不安を抱えていました。

フツーの人向きの実用的な仕事の哲学はないものか。考えを巡らしているうちに、たどり着いたのが「絶対悲観主義」です。この着想は僕にとって革命的でした。そもそも「うまくやろう」とするのが間違いなのではないか。それぞれに利害を抱えて生きている世の中、自分の思い通りになるほうがヘンで、僕のような大甘の凡人にとってはうまくいくことなんてほとんどないのが当たり前──脳内革命が勃発し、従来の出力八割政権は打倒され、絶対悲観主義政権が樹立されました。これで一気に仕事生活がラクになりました。以来、現在に至るまで、僕は一貫して絶対悲観主義で仕事に臨んでいます。

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