2022.06.24

海軍兵学校の「鉄拳制裁」で鍛え上げられ、家康以来、唯一徳川家で「討死」した「将軍の孫」

神立 尚紀 プロフィール

出自を問わず平等に鍛えられる

いっぽうで、海兵、陸士は、学費が国費からまかなわれ、軍人としての将来が約束されていることから、家庭の経済的な事情で高等学校への進学をあきらめざるを得ない、宮野善治郎のような庶民も、多くが入校を目指した。学校内では、出自や家庭環境などの個人の背景はいっさい抜きにして、平等に鍛えられる(皇族だけは御附武官がつき、課業以外では特別扱いとなる)。

「弟の善治郎は、きょうだい思いで手のかからないええ子でした。徳川の若殿様も、弟を通じて親しみを感じていましたが、二人とも大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死してしまいました……」

徳川熈の思い出を語った宮崎そのさん(左・撮影/神立尚紀)と弟・宮野善治郎大尉(右・戦死後中佐)

宮崎そのから煎餅のエピソードを聞き、徳川熈に興味を持った筆者は、当時の特権階級ともいえる皇族や華族、そして爵位は持たなくとも国家に勲功があって貴族院議員に任じられた「勅任議員」たちやその子弟の軍人のことを調べてみた。すると、意外にもそんな「貴族」のなかからも、多くの人が戦場に赴き、戦没していることがわかった。

 

昭和12(1937)年7月7日に始まった支那事変(日中戦争)以降だけでも、皇族・元皇族は昭和15(1940)年9月4日、演習中に不時着してきた飛行機に衝突され殉職した北白川宮永久王(陸軍大尉、薨去後陸軍少佐)をはじめ、昭和18(1943)年8月21日、セレベス島上空で輸送機に搭乗中、敵機と交戦、撃墜されて戦死した海軍大尉伯爵伏見博英(元皇族伏見宮博英王。海軍少尉任官後、臣籍降下。戦死後少佐)、昭和19(1944)年2月6日、クェゼリンで玉砕した海軍大尉侯爵音羽正彦(元皇族朝香宮正彦王。海軍少尉任官後、臣籍降下。戦死後少佐)の3名。華族は、海軍については、「水櫻會」の調べで、学習院出身の戦没者37名がいたことが判明している。

陸軍については、昭和17(1942)年9月5日、ボルネオ島(現カリマンタン島)沖で搭乗していた飛行機が遭難、戦没した旧加賀藩主前田家第十六代当主・陸軍中将侯爵前田利為(戦死後大将)や、昭和20(1945)年3月22日(推定)、硫黄島で戦死した、1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリストでもある陸軍中佐男爵西竹一(戦死後大佐)、内閣総理大臣を務めた公爵近衛文麿の長男で、戦後、昭和31(1956)年10月29日、抑留先のソ連で病死した陸軍中尉近衛文隆など、著名人も少なくないが、全体像は判然としないという。

上段左・北白川宮永久王(陸軍大尉、薨去後陸軍少佐)、上段右・陸軍中将侯爵前田利為(戦死後大将)、下段左・陸軍中佐男爵西竹一(戦死後大佐)、下段右・陸軍中尉近衛文隆

ここでは、筆者が直接、その人を知る人物からエピソードを聞くことができた、徳川熈大尉、伏見博英大尉、音羽正彦大尉(いずれも戦死後少佐)の3名を軸に、その人となりと戦いを振り返る。

SPONSORED