2022.06.24
# 世界経済

ナポレオン大陸封鎖令の大ブーメランに学ぶ経済制裁で自滅する歴史

今回もロシアの反逆が鍵になるか
大原 浩 プロフィール

反発を招いた「大陸封鎖令」

日本では、ナポレオン・ボナパルトは英雄と捉えられている。また、フランス国民にとっても同様だ。だが、英国を含めた諸外国では、当然のことながら「侵略した独裁者」として考えられ、評判は高くない。もっとも、海外で不人気なのはもちろん国内の中間選挙も危ういバイデン氏よりはましであるが。

そのナポレオンの評価をさらに下げたのが1806年11月21日に発令された大陸封鎖令(ベルリン勅令)である。

現在世界の4割近い軍事費を費やす米国に他の国々が逆らえないように、フランスに従属した欧州諸国や北欧は大陸封鎖に参加を余儀なくされた。

だが、これらの国々は、産業革命に先行し豊かな経済力を持ち、なおかつ高い品質の工業製品を生産する英国との貿易が出来なくなったため大いに困った。

確かに大陸封鎖は、一定の成果をあげた部分もあったのだが、それはあくまでフランスの利益である。

「ロシアを叩き潰す」ことが米国の利益になるのかもしれないが、西欧諸国を含む多くの国々が、(多少不満はあるにしても)ロシアとの共存共栄を望んでいる。したがって、彼らの利益にならないのと同じである。当然それらの国々の不満や不平は高まっていく。

大陸封鎖における英国の「工業製品」を、今回の経済制裁における「エネルギー・食料」に置き換えれば、驚くほど似た事例であることがわかると思う。

実際、反ナポレオン政策を取ったスウェーデンは協力を拒否した(現在西欧先進国で米国に逆らう勇気のある国は見当たらないようだが……)。だが、ナポレオンはロシア帝国をけしかけ、スウェーデンを屈服させて封鎖令に参加させるという強硬手段に出る。

 

しかしそれでも離反国は後を絶たず、ポルトガルも協力を渋った。結果、イベリア半島へ派兵することになり、ナポレオンはイベリア半島戦争の泥沼に巻き込まれていくこととなった。

そのような大陸封鎖の実状を冷静に分析したロシア帝国は、発令の4年後である1810年に大陸封鎖令を破りイギリスと通商を再開した。

ナポレオンは、反抗したロシアを征伐しようと1812年にロシア遠征を企てた。しかし「冬将軍」などに阻まれ、惨敗を喫して没落が早まったことは余りにも有名である。

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