今こそ思い出したい…サントリー中興の祖・佐治敬三の「志」

自由と挑戦を愛した「やってみなはれ」精神

サントリーホールを創った男

バブル景気が始まった1986(昭和61)年の10月12日午前10時半、宮澤喜一大蔵大臣以下、約2000名の招待客が見守る中、サントリーの佐治敬三社長が万感の思いで、パイプオルガンの「A音」を押した。

佐治敬三

それが合図となって、NHK交響楽団が、この日のために芥川也寸志が作曲した『オルガンとオーケストラのための響』を演奏した。

東京・赤坂に建ったサントリーホールは、オーストリア製の世界最大5898本のパイプのオルガンを備え、全2006席に世界最高の音響を届けた。連日、世界の一流クラシック音楽家たちのコンサートが開催され、ベルリン・フィルハーモニーホール、ニューヨークのカーネギーホールと並ぶ「世界3大ホール」の一角に称されるようになった。

この東京の新名所を作ったのが、佐治だった。サントリー文化事業部長などを歴任し、評伝『佐治敬三』を書いた小玉武氏が振り返る。

 

'83(昭和58)年1月、佐治はベルリンで、世界最高の指揮者カラヤンと会い、サントリーホールの設計を相談しました。その時、設計図を4案持参したのですが、カラヤンはそれらを一瞥するや、『A案のワインヤード型でいくべきだ』と言いました。

ステージの側面や裏側まで聴衆が入れるベルリン・フィルと同じ方式で、演奏者と聴衆が一体になれるというのです。

佐治は、サントリーの本業である『ワイン』という言葉がカラヤンの口から出たことも嬉しかったようで、即決しました

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