2022.06.26
# 日本史

邪馬台国は関西だった? 定説を覆す「日本史サイエンス」の世界

カギは対馬海流にあった

日本史に残された謎も、科学の力を使えば解明に近づく。前編記事『なぜ秀吉は朝鮮出兵に失敗したのか…最新技術でわかった驚きの新説』に引き続き、邪馬台国と日露戦争の謎について考える。

対馬海流を味方につける

古代において、日本と中国大陸との往来を難しくしていたのが「対馬海流」である。

古代中国の史書『魏志倭人伝』には、女王卑弥呼が治める「倭」が魏の国(中国)へ使者を送ったとある。卑弥呼は、どうやって魏の国に使者を送っていたのだろうか。

「これまで、古代の船を再現して日本海を横断しようとする実験が複数行われました。対馬海流は1.5~2ノットと速い流れのため、今でもこれは大変なチャレンジです」(5月20日に『日本史サイエンス〈弐〉』(講談社ブルーバックス)を上梓した播田安弘氏)

しかし播田氏によれば、海流の特性を熟知した上で、うまく利用すれば古代でも往来は可能だったという。

「特に難しかったと考えられるのは、魏のあった中国大陸から日本へ戻る時の航行です。大陸から九州方面を目指そうとすると、対馬海流に阻まれ、直接たどり着くことは困難でした。

 
photo by gettyimages

しかし、対馬海流と朝鮮半島東側を流れるリマン海流がぶつかって生じる大きな渦にあえて巻き込まれるように航行すると、船は自然と山陰へと流れつくのです」

これまで大陸との交易の窓口は九州であり、邪馬台国も九州にあったとする説が主流だった。

だが、対馬海流について考慮すると、山陰まで流れ着いた人々が近畿まで陸路で戻っていたことが想定される。よって、邪馬台国は近畿に存在したという説も説得力を増すのだ。

SPONSORED