逃亡犯の闇
マリコさんの家族は話を続けた。
「9月29日夜、突然、南アフリカにいるマリコから『元気にしているよ』と母親の携帯電話に着信がありました。その日以降、ほぼ毎晩、マリコから電話がきます。南アフリカの裕福な家庭で匿ってもらっていて、その方から『日本にいる家族に心配をかけてはいけない』と言われ、電話を借りてかけているようです。平成19年にも、南アフリカにマリコを迎えに行きましたが、到着するとマリコと連絡がつかなくなり、結局、会うことができませんでした。しかし、今回は環境のよい場所で生活しているように感じます。
家族としての願いは、日本警察にマリコを確保してもらうか、私たち家族が南アフリカに渡航してマリコと会い、日本国大使館で保護してもらうことです。どのような手続きを踏めばマリコを帰国させることができるのか、教えてもらいたいのです」
平成19年3月にも、突然、南アフリカのマリコさんから母親に電話が入ったことがあった。内容は、「乳癌になった。松井から帰国して手術を受けてよいと言われた」というものだった。電話を替わった松井も、「病気なので帰すことにした」という。しかし、4月に入り松井から、「帰国させる話は白紙に戻す。手術はこちらでやらせる。警察が動いている」と電話があった。それでも、マリコさんの家族は一縷(いちる)の望みにかけて南アフリカに飛んだ。しかし、マリコさんと会うことができないまま無念の帰国となった。
このときの苦い経験について、マリコさんの家族は、「私たちの相談を親身になって聞いてくれない警察の不誠実な態度には本当に呆れました」と当時を振り返った。
両親にとってみれば、身が引き裂かれる思いだったに違いない。居ても立ってもいられず、何も手につかない状態だっただろう。食事も喉を通らず、夜も眠れない日々が続いたことが容易に推察できる。その辛い心情を汲み取って、迅速に行動に移してこそ、警察のあるべき姿ではないのか。
私は速やかに行動に移すべき緊急案件と判断し、高井戸署での会合を終えると警察庁の関係部署と連絡をとり、その日の夕方から協議に入った。
その席上、まず話題となったことは、警視庁の捜査員がマリコさん家族に同行して南アフリカへ飛ぶべきか、あるいは、マリコさん家族だけで南アフリカへ行ってもらうべきか、ということだった。その背景には、この年の8月中旬、南アフリカの松井の下から日本に逃げ帰って来た日本人男性タダシ(当時41歳)の姿があった。
平成22年6~7月、FIFAワールドカップ南アフリカ大会が開催されることに乗じ、松井は、先物取引会社勤務当時の同僚「タダシ」に「ツール・アフリカ」なる旅行会社を立ち上げさせ、その代表取締役にタダシをつかせた。そして、南アフリカのサッカー観戦ツアーをでっち上げ、100名以上の応募を受け付けて代金6500万円以上をだまし取った。
多額の犯罪収益を得たタダシは、平成22年4月、他人名義のパスポートを使用して日本から南アフリカへ逃亡し、ダーバン郊外の紙谷の家に転がり込んだ。その後、その年の10月からは首都プレトリアの豪邸で松井、紙谷、マリコさんと生活するようになったが、松井から日常的に暴力を振るわれるようになり、敷地内の小屋での生活を強いられた。毎日、使用人として働き、外出は許されず、風呂は週に1度だけだった。“このままではいずれ始末される”と不安になったタダシは、平成23年8月、松井の監視下から脱出して放浪した挙げ句、日本国大使館に保護を求めて帰国した。そして、警視庁に詐欺等で逮捕されることになった。
このタダシの帰国・逮捕は、松井にとって大きな打撃となった。
警戒した松井は、マリコさんに指示して母親へ電話をかけさせ、通報を受けた警視庁の行動を探るのではないかと考えられた。もし、警視庁の捜査員が同行して南アフリカに渡航し、それを察知したマスコミが報じたならば、松井の思うつぼになる。それに、警視庁の捜査員が同行するとなると手続きに時間を要してしまい、マリコさんの帰国が叶わなくなるかもしれない。それならば、家族だけですぐに渡航して、南アフリカに入国した後は日本国大使館員にガードしてもらう方針が最善策であると打ち出した。その上で、帰国したマリコさんを、警視庁が殺人罪で逮捕することも申し合わせた。