26歳でこの世を去り、今も歌い継がれる名曲を遺したシンガーソングライター、尾崎豊さん。「若者のカリスマ」と呼ばれた彼の没後30年を迎えた今、これまであえて多くを語らなかった妻の尾崎繁美さんが、ひとつの大きな区切りとして豊さんとの想い出や、いわれのない多くのバッシングなどを乗り越えてきた思いなどを告白する連載の3回目。

前編では、豊さんに選ばれ、妻となる前の尾崎繁美さんの10代頃の姿をお伝えしました。後編では、豊さんと出会ったその日の出来事について語っていただきました。

以下より、繁美さんのお話です。

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出会いはN.Y.に旅立つ直前だった

豊に初めて会ったのは、1986年の5月。豊が20歳、私が18歳のときのことです。

豊は16歳だった1982年にCBS ソニーのSDオーディションで最優秀賞を受賞し、18歳でレコードデビュー。セカンドアルバム『回帰線』がチャート1位をとり、人気は絶頂にありました。他のアルバムもチャートインし、テレビには出ていなかったので顔は知られていませんでしたが、すでに知る人ぞ知るという伝説的な存在になっていました。ただ、この年の1月に無期限の活動中止を決めて、N.Yに行くことが決まっていました。

当時は空前のディスコブーム。私は洋楽ばかり聴いていたので、彼のプロフィールをほとんど知りませんでした。ただ、豊と仲がよい友人が数人いて、「凄いやつがいる」という評判は耳に入っていました。プライベートでは可愛い女のコには片っ端から声をかけまくっている(笑)という噂も聞いていましたが、当時つき合っている彼がいた私には関係ないことだと思っていました。

尾崎豊さんと出会った頃、18歳の頃の繁美さん。写真提供/尾崎繁美

豊がNYに出発する直前、“ドロップアウターズ”と豊自身も呼んでいた、彼の青学(青山学院高等部)時代の友だちが毎晩のように送別会を開いていて、私も友だちから「あの尾崎豊が目の前で歌ってくれるんだよ。NYに行く前に彼の歌を聴ける最後のチャンスだからおいでよ」と、誘われたのです。私もその頃『I LOVE YOU』のPVを見て、すごくいい歌だと思ったので参加することにしましたが、実はビデオで観た豊はあまりにも暗いイメージで、決してタイプでもないし、かっこいいとも思っていませんでした。

その頃、つき合っていた彼は私を束縛するタイプの人で、私は友だちと遊びに行くのも制限されていました。送別会の当日も自宅で彼からの電話を受け「もう寝るね」と伝えた後に六本木に出かけました。