発掘スクープ!朝日新聞「五輪中止勧告社説」の裏で政治部と社会部の大ゲンカが起きていた

朝日新聞は頭から腐った(5)

東京五輪のオフィシャルスポンサーだった朝日新聞が、2021年5月26日に「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」と題した社説を掲載し、話題になったのはまだ記憶に新しい。

「朝日はついに中止に舵を切ったのか」とリベラル層は沸き立ったが、結局は開催中止を主張するのはこの社説一本のみで、大会が始まるとなし崩し的に「五輪礼讃報道」に溢れかえったのも周知の事実だ。

実は五輪中止の社説が掲載される前日、朝日新聞の社内ではとんでもないことが起きていた。それは社会部と政治部の「覇権闘争」とも言えるものだった。話題の書『朝日新聞政治部』には、その生々しい一部始終が登場人物実名で綴られている。

東京五輪スポンサーに突き進んだ渡辺雅隆社長

木村伊量社長が2014年12月に「吉田調書」を理由に引責辞任した後、後継指名された大阪社会部出身の渡辺雅隆社長は社会部で会社の要職を固めた。木村氏の「院政」のもくろみはあえなく失敗したのである。朝日新聞は「政治部支配」から「社会部支配」へ大きく転換し、内部統制はむしろ強化された。

「吉田調書」報道が取り消された9月11日がくると、一連の問題を思い起こして身を引き締めようと呼びかける社内放送が流れた。私はそのたびに身が縮こまる思いがした。発行部数も売上高も過去にないほど急落しつづける中、新しい経営陣は「吉田調書」を批判し続けることで自分たちの正統性をアピールし、経営責任を回避しているように思えた。まるで「戦勝記念日」に歴史問題を持ち出して国民世論の不満を外へ振り向ける独裁政権のようだった。私はこの体制が続く限り、いつまでも「戦犯」として標的にされ続けるであろうと思った。

朝日新聞DIGITALの「吉田調書」記事ページ

渡辺社長の「お友達人事」は徹底していた。まずは大阪朝日放送に出向していた同期で社会部出身の梅田正行氏を経営企画担当の取締役として呼び戻した。もうひとつ見逃せないのは、同じく同期で社会部出身の福地献一氏を東京五輪スポーツ戦略担当の執行役員に「留任」させたことだ。

福地氏は木村社長時代に「財務・東京五輪スポーツ戦略担当・社長室長」を担当する取締役だった。社長室長として「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の3点セットの危機管理にあたる中心人物の一人だった。木村社長の引責辞任にあわせて福地氏の危機管理の失敗を問う声もあったが、渡辺社長は福地氏を執行役員に降格させながらも「東京五輪スポーツ戦略担当」に据え置いた。そしてほとぼりの冷めた2017年に取締役に復帰させた。

「吉田調書」で責任を問われた関係者で要職に復活したのは福地氏ただ1人である。彼の重要ミッションの1つが朝日新聞を「東京五輪スポンサー」にすることだった。

 

朝日新聞は渡辺体制の下で東京五輪スポンサーへの道を突き進んだ。2016年1月には読売、日経、毎日とともに東京五輪組織委員会と「東京2020スポンサーシップ契約」を締結。渡辺社長や福地氏は東京五輪組織委会長の森喜朗元首相ら要人と接触し、ビジネスパートナーとしての足場を固めていった。五輪スポンサーの「1業種1社」の原則を打ち破り、全国紙4紙を横並びでスポンサーに迎える組織委の姿勢は、東京五輪批判を封じる「メディア支配」の一環だった。安倍政権と密接な読売だけでなく、渡辺社長率いる朝日もその仲間に加わったのである。

背景には朝日新聞社の経営悪化がある。2009年まで800万部を超えていた新聞発行部数は年々減少し、渡辺社長が就任した2014年時点で700万部になっていた。その後「朝日離れ」は加速し「3年間で100万部」のペースで激減。渡辺社長の在任6年余で実に200万部以上を減らし、ついに500万部を割り込んだのだ。そこへコロナ禍が直撃し、朝日新聞社は2021年3月期連結決算で442億円の赤字に転落。渡辺社長は3月末についに引責辞任に追い込まれた。

渡辺社長は後任の社長に政治部出身で4期下の中村史郎氏を指名し、さらに編集担当役員に社会部出身で中村氏より3期下の角田克氏を起用した。朝日新聞社の社長ポストはかつての「政治部と経済部のたすきがけ」から「社会部と政治部のたすきがけ」へ移行したのかもしれない。

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