ルールより力の強弱で決める。ロシアに皇帝専制主義が根付いた理由

『民族と文明で読み解く大アジア史』増補編3
日本の歴史教科書では、アジア全体の歴史の実体を学ぶことはできない。アジア諸民族は古来から多くの闘争を繰り広げてきた。それは21世紀の今も続いている。情勢の行方を見るのに、民族・宗教・文明に着目したアジア史の理解は必要不可欠なのだ。『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)はその理解の一助になるはず。著者の宇山卓栄氏による、この話題の本に収めきれなかった章を連載でご紹介したい。今回は今日のプーチンにも受け継がれているロシア独特のツァーリズムの起源についてだ。

「スラヴ」は「奴隷」の意味

ロシア人や東欧人、バルカン半島人はスラヴ人です。「スラヴslav」は英語で「スレイブslave(「奴隷」の意味)」です。古代ギリシア人がその勢力を拡大していく中で、バルカン半島北部のスラヴ人と出会い、「お前たちの話している言葉は何だ」と聞くと、「言葉(スラヴ)だ」と答えます。「スラヴ」というのはスラヴ語で「言葉」という意味です。「スラヴ」と聞いたギリシア人は「では、お前たちをスラヴ人と呼ぼう」ということになりました。

古代ギリシア人は大量のスラヴ人を奴隷にしました。次第に、ギリシア語の「スラヴ」は「奴隷」と同義の意味を持つようになります。ローマ帝国もまた、多くのスラヴ人を奴隷にして酷使しました。ローマ帝国では、「スラヴslav」は「スクラヴスsclavus(=奴隷)」というラテン語に変化します。

研究者たちは、スラヴ人は元々、バルト三国やフィンランド付近に居住していた可能性が高いと指摘しています。彼らは紀元前10世紀頃にウクライナ西北部からベラルーシに南下し、まとまった集団を成し、この時期にスラヴ人の言語の祖語も形成されたとされます。

スラヴ人には、金髪碧眼が多いため、北欧人(北方人種)と元々、同族であったとする考え方が19世紀後半から20世紀初頭にかけてありました。しかし、北欧人はゲルマン人の血統であり、スラヴ人とは遺伝子の型も異なります。スラヴ人に金髪碧眼が多いのは、金髪碧眼と強い相関関係があるハプログループIがR1aと並んで高頻度に検出されることが原因です。同様に北欧人にもハプログループIが高頻度に検出されることは共通しています。

 

スラヴ人は紀元前8世紀頃には、ウクライナからロシア、東欧、バルカン半島方面に広範囲に移住拡散しています。古代ギリシア人とスラヴ人が邂逅するのはこの時期です。

4世紀後半からはじまるゲルマン人の大移動の中、東欧やバルカン半島のスラヴ人はゲルマン人と混血し、その純血はほとんど失われていきます。一方、ロシア方面に拡散居住していたスラヴ人はゲルマン人の侵入をほとんど被らなかったため、スラヴ人の純血を一定レベルで保持しました。

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