2022.07.01
# 地形 # 海

『魏志倭人伝』から見えた邪馬台国への最も合理的なルート

「船の科学」で読み解けばこれしかない!

九州か、近畿か? 邪馬台国の所在地をめぐる論争はどの説も決め手を欠き、 いつ終わるとも知れない。そのなかで、中国使節団の邪馬台国への行程が記さ れた『魏志倭人伝』の重要性は、やはり見過ごせない。

これまで歴史学的なアプローチしかされてこなかったこの史料を、船舶設計の プロとしてさまざまな歴史の謎を科学で読み解いた『日本史サイエンス〈弐〉』の著者・播田安弘氏はどう読み解くのか? そこから見えてきた邪馬台国への最も合理的なルートとは?

世界最初の日本についての記録

邪馬台国がどこにあったかという議論で必ず俎上にのぼる史料が『魏志倭人伝』です。それは日本にまだ文字がなかった3世紀末ごろに、日本について世界で初めて記された書物で、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が覇を競った三国時代の中国についての史書『三国志』のうちの『魏書』の一部です。書いたのは三国を統一した晋の文官の、陳寿という人です。

『魏志倭人伝』には、邪馬台国を訪問した中国の使節団一行の行程が記されていることから、邪馬台国の場所を知るための有力な手がかりとされているのです。

邪馬台国論争は江戸時代から続いており、現在ではおもに九州説と近畿説が人気を二分しています。近年では近畿の纒向遺跡(奈良県)から大型の建屋などの構造物が見つかり、多量の桃の種が発掘されてその年代がまさに卑弥呼が生存していた時期のものであることがわかり、近畿説が有力視されてきているようです。

【写真】纏向古墳群のひとつで、卑弥呼の墓ではないかと言われている「箸墓古墳」纏向古墳群のひとつで、卑弥呼の墓ではないかと言われている「箸墓古墳」。この古墳のすぐ北にある纏向遺跡で、大量の桃の種が発掘された photo by publi domein

とはいえ九州説も負けてはいません。とくに出土品の多さでは北九州が近畿を大きく上回っていて、たとえば邪馬台国の時代と思われる鉄器が出土した数を比較すると、圧倒的に北九州が多いことがわかります。

そうしたことからも、近畿説と九州説のどちらが優勢かなどとは軽々に論じるわけにはいかなそうです。直接的な証拠では決定打が出ないため、文字にのこされた唯一の史料である『魏志倭人伝』の検証が重要になってくるのです。中国の使節団の行程を読み解いていけば、邪馬台国がどこにあったかわかるはずだ、という考え方です。

信頼性は低いけれど

行程の検討には、どのような日程で、どういう方角と距離を、どれだけの速度で進んだかという情報が必要です。たとえば方角については、当時の中国では魚形の木に鉄を組み込んだ「指南車」を水に浮かべておおまかな方位を知っていたようです。しかし、それでは距離はわかりません。そもそも日本についての地図があったかどうかも不明です。あったとしても、いまの地図とはまったく違う代物だろうと思います。

読者のみなさんがまだ行ったことがないどこかの土地で、ごく大ざっぱな地図とコンパスだけを頼りに目的地をめざし、その行程をレポートすることになったと想像してみてください。まして日本では海岸に沿って道があることが多く、曲がりくねっています。その状況で太陽の方向や指南車だけを手がかりに、どの方角にどれだけ歩いたかを書けといわれても、きわめて困難ではないでしょうか。

【写真】地図とコンパスだけを頼りに歩くのは困難地図とコンパスだけを頼りに知らない土地を歩くのはかなり困難だ photo by gettyiages

また、『魏志倭人伝』は成立してから現在まで1800年もの時を経ていて、印刷技術などない時代に人の手で何十回も書き写されてきたとされています。誤記や思い違いによって原本と差異が生じてしまうことは、確率的に避けられないはずです。

こうしたことから、『魏志倭人伝』に記されている方角や距離から邪馬台国の場所を正確に特定することは難しいであろうというのが筆者の考えです。それでも『魏志倭人伝』をいまから検証するのは、筆者のような船の専門家という立場で解読を試みた例は、これまであまりなかったように思われるからです。歴史の専門家ではないので的外れな読み方もあるかもしれませんが、挑戦してみたいと思います。

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