木村伊兵衛写真賞のみならず、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、パリ市芸術大賞と日仏で多くの賞を受賞した写真家・田原桂一さん。芸術の都・パリでも愛され、尊敬された日本を代表する写真家だ。しかしその田原さんが、まるで奇跡のような恋愛物語を生き抜いていたこと、しかもそれは、梨園の妻・博子さんとの「不倫」と言われるものだったことはあまり知られていなかった。2017年6月6日、肺がんのため65歳で天国へ旅立つ3年前に、愛を実らせ、博子さんと入籍をしている。

田原桂一さんと博子さん、桂一さんの作品の前で

そんな田原さんの「奇跡の愛」を、直木賞作家の林真理子さんが実名で綴った小説が『奇跡』である。発売後、瞬く間に10万部の重版となった本書は不倫であるということ、実名であるということで多くの賛否両論の声が寄せられているという。

当事者である田原博子さんが初めてメディアの取材に答えた記事の前編「不倫でも…梨園の妻だった私が林真理子さんに「奇跡の愛」を実名で書いてもらった理由」では、なぜ実名で書いたのか、歌舞伎の関係者に対する思いなど率直な話を伺った。中編では、息子とのやり取りについてうかがっていく。

-AD-

愛している人のところに息子を連れていく

林真理子さんによる小説『奇跡』は愛の物語であると同時に、田原桂一という芸術家の半生を事実に忠実に描いている。今から19年前に、当時52歳の桂一さんと33歳の博子さんは京都で再会し、恋に落ちる。当時、博子さんは梨園の妻でもあり、3歳の息子の母親でもあった。
幼い子供がいながら、夫以外の男性と愛し合う。一般的な母親なら、子供を実家に預けるなどして、恋人の存在を見せない。しかし博子さんはそうはせず、息子を連れて桂一さんに会うことを選ぶ。なぜ、そうしたのだろうか。

――それが自然だったからです。私は桂一さんのことも、息子のことも100%全力で愛しており、それを貫き通すのが当たり前のことだったのです。
桂一さんは、19歳でパリに行きました。言葉も話せず、お金もなく、持っているのはカメラだけ。そこで、観光客の写真を撮ったり、絵を描いたりして、それらを売りながら自分の作品を作り続けていたのです。

若い頃は、なかなか生活ができず、マルシェ(市場)で売れ残りの野菜を分けてもらって食べていたという話も聞いたことがあります。そんなどん底からスタートした人なんです。さまざまな経験を重ねているからこその強さと優しさがある。

私も息子も親や周囲の人に守られて愛されて生きてきました。だからこそ、たった一人で奮闘し、自分の足で立ち、自分の手でつかんでいく桂一さんの生き方を息子に見せたかったんです。もちろん息子には、立派な祖父と父がおりますが、「この人の背中を見せなければ、この子は育たない」と感じたことを鮮やかに覚えています。この思いは、私が桂一さんを愛することと、同じくらいのエネルギーでした。それを桂一さんは受け止め、息子は「おじちゃん」と慕った。そして、亡くなるまでの14年間、桂一さんは私と息子を包み、守るように愛してくれました。さまざまなことがありましたが、お互いの結びつきが強かったこともあり、3人で頑張ってこられたのだと思います。

パリ、ルーブル美術館でのひととき 撮影/森清