「パリで大成功をおさめた日本人の写真家が、梨園の妻と不倫をしていた実名小説」。そうまとめると、スキャンダルを描いた小説と思う人は少なくないだろう。たしかに、林真理子さんの『奇跡』は田原桂一という日本を代表する写真家と、当時息子が3歳だった梨園の妻の博子さんとの奇跡の愛の物語だ。しかし、読んだ人の多くは「人はここまで人を愛することができるのか」と驚嘆の声をあげているという。

当事者である田原博子さんがメディアの取材に初めて答えるインタビュー。
前編では、歌舞伎の世界に衝撃を与えるかもしれないのになぜ実名で小説を出したのかということを率直に伺った。そして中編では、3歳のときから田原桂一さんのところに一緒に通っていた息子とのやり取りについて伺った。時折聞きづらい質問をしても、博子さんは嫌がることもなく、堂々とまっすぐに答えていた。

撮影/森清

取材する我々も感じていた。この小説は、博子さんが田原桂一という人のことを伝えたくて、林真理子さんに書いてもらったのではないかと。
インタビュー後編では、改めて田原桂一という写真家を愛した理由について語っていただく。

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これほどまでに愛された私は幸せでした

「女として生を受け、これほどまでに愛された私は幸せでした」と博子さんは口にする。博子さんを心から愛したのは、世界的芸術家の故・田原桂一さん。不倫の恋から始まった2人は、出会いから10年目に入籍し名実ともに夫婦になる。しかし、その2年後、病が田原桂一さんを襲い、2017年6月6日、65歳の生涯を終える。
自宅で行われたこのインタビューののち、博子さんは繊細なフルートグラスでシャンパンをふるまってくれた。そして、遺影の前に「桂一さんも、どうぞ」とグラスを置くことも忘れなかった。

――『奇跡』にまつわる取材を初めて受けたのだけれど、こうして桂一さんのことを話す時間が持てて幸せです。
彼は亡くなる前に自分の作品を、残して広めるという課題を授けてくれました。その課題に取り組んでいると悲しんだり、立ち止まったたりしている時間がありません。私は桂一さんのそばで、精一杯生きている姿を見ながら多くを学びましたし、それを仕事として形にしていかなければならないのですから。
桂一さんはもう自分のことを語れません。だから、私がやるしかない。「桂一さんが生きていたらこうするな」ということを、私のフィルターを通して表現させていただいたのです。

桂一さんは出会った時に「博子ちゃんは、僕の通訳だ」と言ってくれてました。彼が33年間を生きてきたパリと、日本とでは勝手が違います。そういうことを含めての“通訳”なんだと受け取りました。