いま東京・山谷の街が変わりつつある…「ドヤ街」から「福祉の現場」へ

取材を続けたライター2人が語った

日本有数の「ドヤ街」として知られる東京・山谷地区(台東区・荒川区)。かつては労働争議や過激派の街のイメージが強かったこの街は、現在では元労働者や路上生活者の高齢化に伴う様々な問題が噴出している。しかし時代を越えて共通するのは、この街には人々を惹きつける磁力があるという事実だ。この街を長く取材する2人のライター、井上理津子氏と末並俊司氏が語り合った。

末並俊司氏(左)と井上理津子氏
 

3畳一間の「ドヤ」は“福祉の現場”になった

末並俊司(以下、末並):私は東日本大震災の直後に、雑誌の取材で足を踏み入れたのが山谷との出会いで、それから定期的に通うようになりました。井上さんが山谷に通うようになったきっかけは何だったんですか?

井上理津子(以下、井上):2012年に『男の隠れ家』という雑誌の「裏町特集」の取材で初めて行ったんです。当時、私は『さいごの色街 飛田』(新潮文庫)の本を出した後で、編集部から飛田新地の原稿を依頼されたのですが、他の地域に行かせてよと言ったら、山谷のページがあいてますよって。

末並:飛田新地のある大阪市西成区は、東京の山谷、横浜の寿町と並んで「日本三大寄せ場」といわれる地域ですね。飛田の次は、山谷だと。

井上:はい。4000円くらいで泊まれるビジネスホテルに泊まって、商店街でお会いした当時60代後半くらいの男性に話を聞いて原稿を書きました。東北の出身で、酒蔵の仕事であちこちに出稼ぎに行っていたけど、クビになって山谷に流れ着いたという方でした。田舎に妻子を残していて、山谷で稼いだお金でお土産を持って帰るつもりだったんだけど、ある日、もう明日帰ろうという日にドヤで財布を盗まれたそうなんです。

末並:偶然の巡り合わせで、嘘みたいなタイミングで、っていうことがあるんですね。

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