そして倫理規定であるということは、もし仮に「政治的に公平でなかった」としても、それを理由に行政処分の対象にはならない、ということだ。
しかも、ここで求められる「政治的な公平さ」についてBPOの同文書は
『公選法は、放送局は「選挙運動」をしてはならないが、虚偽の事実を放送したり事実を歪めるなど表現の自由を濫用し、しかも、その結果、選挙の公正を害することにならない限りは、選挙に関する報道と評論を自由にできると言っているのである。そして、そのような自由が保障されている以上は、その結果、ある候補者や政党にとって有利または不利な影響が生じうることは、それ自体当然であり、政治的公平を害することにはならない。また、候補者が出演する番組でも、候補者に自分に投票するように呼びかける演説をさせて司会者もこれを制止しないというような番組でない限り「選挙運動」放送にはあたらず、選挙に関する報道と評論の自由の範囲内にあると言うべきである。』
とはっきり書いているのだ。
報道量が公平である必要はない
この文章の前半で、「テレビ東京の決断は大英断ではあるが、本来誰にでもできたものであり、むしろ各局がなぜこうした決断ができなかったのか情けない」と書かせてもらった理由がお分かりいただけただろうか。
放送法などの関係する諸法規を解釈しても、ひとつの番組で量的公平を保たなければならないわけではないし、論評の自由もある。
しかも政治的な公平さも、上のBPO見解のようなものであるとすれば、もっと各局とも「投票する前の視聴者に、投票の参考となるような選挙前特番を自由に放送するべき」だし、自局なりの倫理基準に基づいてきちんと「政治的公平さ」を保っていると判断すれば、それで堂々とオピニオンを放送するべきなのだ。
バラエティ番組などの内容については、各局ともあれほどBPOの見解を重視して恐れているのに、なぜこと選挙に関してはBPO見解に沿って思い切った放送ができないのか?そういう意味では一放送人として情けない限りであるが、個人的には少し胸が痛むところもある。