「左翼」はもう存在感を取り戻せないのか……左派の未来を考える

「新左翼」が消滅するまで
かつて、日本、そして世界における武力革命を夢想した日本赤軍。彼らを含む「新左翼」の失墜から、およそ50年が経った。その後、左翼の存在感は少しずつ消えていった。
「危機の時代だからこそ、左翼の思想を再検討することが重要である」。池上彰、佐藤優両氏が戦後の日本左翼史を検証する対談シリーズ第3弾『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022』から、池上氏が同書に込めた思いを綴った「はじめに」をお届けします。

歳をとった「革命戦士」たち

本書は『日本左翼史』シリーズの3巻目です。過去の2冊は1960年代から70年代、80年代に青春時代を過ごした人たちの心に刺さったようです。あちこちで「読みました。次が待ち遠しいです」という声をいただきました。

現代の若者たちには、もはや歴史の話でしかないかもしれませんが、2022年5月、元日本赤軍最高幹部の重信房子しげのぶふさこが懲役20年の刑期を終えて出所し、ニュースになりました。

その直後、中東レバノンのベイルートでは元日本赤軍の岡本公三おかもとこうぞう容疑者も人々の前に現れました。テルアビブ空港での銃乱射事件から50年の式典に参加したのです。重信房子は76歳、岡本公三は74歳。どちらも、かつては「革命戦士」を自称していたのでしょうが、歳をとりました。

日本赤軍のルーツは、1969年に結成された「共産主義者同盟赤軍派」です。前著で取り上げたように、当時の日本は、東京大学や日本大学など全国各地で学園闘争が燃え上がっていました。

学生たちの政治集会には、数万人もの参加者があり、学生たちがデモ行進に移ると、沿道の市民から「頑張れよ」の声がかかります。

学生たちと機動隊が衝突を繰り返したお茶の水・神田周辺では、機動隊に追われた学生をかくまってくれる商店や喫茶店がありました。学生たちは、「自分たちの戦いは、多くの人民の支持を得ている」と思い込んだのかもしれません。

一方、世界に目を転じると、アメリカはベトナム戦争で苦戦し、世界各地でベトナム戦争反対の運動が燃え盛っていました。人によっては「革命の日」近しと思えたのでしょう。

スウェーデンでのベトナム反戦運動(Photo by Getty Images)

こうして「直ちに武装蜂起すべきだ」という過激な主張をする集団が生まれます。それが共産主義者同盟から飛び出した「赤軍派」でした。

 

存在しなかった「革命の条件」

赤軍とは、ロシア革命を成功させたレーニン率いるボリシェビキの武装組織の名前。日本でも武力革命を実現すべきだという主張を体現したグループの組織名だったのです。

彼らは、武器を持って立ち上がれば、政府は機動隊では手に負えなくなり、自衛隊を出動させるだろう。自衛隊員たちは労働者・農民の家庭の出身者だ。ロシア革命のときに兵士が帝政ロシアに反旗を翻して決起したように、自衛隊員たちも革命に立ち上がるだろうと夢想したのです。当時の赤軍派のビラを見たことがあります。「戦車の上に赤旗を!」がスローガンでした。荒唐無稽です。

さらに世界同時革命を夢想する集団は、パレスチナの過激派と連絡を取り、中東に活動の場を移します。それが「日本赤軍」でした。岡本公三は、イスラエルの空港で仲間二人と無差別に銃を乱射して多くのイスラエル国民を殺害し、逮捕されましたが、パレスチナに捕まっていたイスラエル軍兵士との交換で釈放され、レバノンに亡命していました。あれから50年が経ったのです。

いまになって冷静に考えれば、日本国内でいかに学生たちが機動隊と衝突したところで、選挙になれば自民党が圧勝していました。「革命の条件」など存在しなかったのです。

まして「世界革命」など、誰がどこで何をするのか。綿密な計画などない刹那的なものでした。こうして「新左翼」は消滅します。

では、既成の左翼はどうなったのか。それを論じたのが本書です。

私より10歳下の佐藤優氏は、私が社会に出た後の学生運動を体験しています。当時何が起き、どうして左翼運動が衰退していったかを、極めて冷静に観察していました。佐藤氏と対談しながら、「ああ、そうそう、そういうことがあった」と思うこともあれば、「そんなことがあったんだ」と再発見することもありました。読者の皆さんには、さらに大きな驚きと発見がありますように。

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