2022.07.10

いまさら聞けない、ウクライナ人とロシア人の「民族的起源と国家の盛衰」

民族と文明で読み解く世界史【前編】
国際情勢を深層から動かしてきた「民族」と「文明」、その歴史からどんな未来が見える?「平和の均衡」は脆く、一瞬で崩れることが、今回のロシアのウクライナ侵攻で明らかになった。今日の世界の危機のほとんどは民族の対立に起因している。民族とは何なのか、民族の闇をタブーなく徹底的に暴いていく。このたび『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)の上梓した世界史のベストセラー著者が、ウクライナ民族の歴史を解説する。

ルーシとキエフ

ウクライナ人はスラヴ人で、ロシア人と民族的にはほとんど同じであるものの、ロシア人を民族や国家の正統な後継者とはせず、簒奪者と見なします。

ウクライナ人もロシア人も、ルーシ族に共通の起源を持ちます。ルーシ族は、9~10世紀に、ヨーロッパ北方の海上の覇権を握ったノルマン人の一派で、元々、北欧に居住していました。

「ロシア(Russia)」の語源は「ルーシ(Rus)」に由来します。「ルーシ」はルーシ(ルス)族というノルマン人の一部族の名とされます。

ノルマン人のルーシ族は族長のリューリクに率いられ、ロシアに入り、元々、この地にいたスラヴ人を征服します。862年、リューリクはノルマン人国家のノヴゴロド国を建設します。

ロシア1000年記念碑のリューリク像(ノヴゴロド)Wikipediaより

その後、リューリクの親族であったオレーグはビザンツ帝国との交易の拠点となっていたキエフに南下して制圧します。キエフはドニエプル川の中流に位置する現在のウクライナの首都です。

オレーグは882年、ノヴゴロドからキエフに本拠を移します。これがキエフ公国のはじまりです。この時代、ロシアやウクライナに、王は存在せず、各地に豪族らが割拠し、分裂状態でした。豪族らは「公」を意味する「クニャージ」を名乗っていました。

 

キエフ公国の君主も「クニャージ」を名乗りましたが、キエフ公国は他の公国よりも国力が強く、主導的な立場にあったため、君主は「大公」を意味する「ヴェリーキー・クニャージ」を名乗っていました。因みに、ノヴゴロド国は「王国」でもなく、「公国」でもないのは、リューリクが王でも公でもなく、ルーシ族の族長という立場に過ぎなかったからです。

キエフ大公位はオレーグの死後、リューリクの息子に引き継がれ、以後、歴代、リューリクの血筋の者が引き継ぎます(リューリク朝)。

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