2022.07.10

いまさら聞けない、ウクライナ人とロシア人の「民族的起源と国家の盛衰」

民族と文明で読み解く世界史【前編】
宇山 卓栄 プロフィール

キエフ公国の黄昏

キエフ公国はバルト海と黒海を結ぶドニエプル川流域を支配し、交易によって栄えます。

10世紀末、キエフ大公ウラディミル1世はビザンツ帝国(東ローマ帝国)と連携し、自らギリシア正教に改宗し、ビザンツ文化を受容します。この時、ギリシア正教のみならず、キリル文字をも受容し、これを基礎にロシア文字が形成されていきます。

ウラディミル1世はビザンツ皇帝の妹と結婚します。この時、リューリク家が皇帝家と姻戚関係になったことが、ビザンツ帝国崩壊後、モスクワ大公イヴァン3世がツァー(皇帝)位を継承する根拠となります。

ノヴゴロドのイヴァン3世像(Wikipediaより)

ウラディミル1世の時代に、キエフ公国は全盛期を迎えますが、11世紀後半、トルコ系の遊牧民がキエフ公国に侵入し、混乱の中、各地で内乱が頻発するようになります。12世紀以降、イタリアを中心とする地中海交易が活発化し、ドニエプル川流域の交易が相対的に衰退し、キエフ公国は荒廃していきます。

 

そこを、チンギス・ハンの孫バトゥが率いるモンゴル人が襲来します。

1237年、モンゴル軍はロシアに入り、1240年、キエフを占領します。街は徹底的に破壊されて、キエフ公国は滅亡しました。ウクライナ人はロシア人とともに、「タタールの軛(モンゴル人による支配)」の時代に入ります。

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