2022.07.10
いまさら聞けない「ウクライナ現代史」…ソ連編入、独立、そして再びの悲劇
民族と文明で読み解く世界史【後編】
国際情勢を深層から動かしてきた「民族」と「文明」、その歴史からどんな未来が見える?「平和の均衡」は脆く、一瞬で崩れることが、今回のロシアのウクライナ侵攻で明らかになった。今日の世界の危機のほとんどは民族の対立に起因している。民族とは何なのか、民族の闇をタブーなく徹底的に暴いていく。このたび『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)の上梓した世界史のベストセラー著者が、【前編】『いまさら聞けない、ウクライナ人とロシア人の「民族的起源と国家の盛衰」』に続き、ウクライナ民族の歴史を解説する。
悲劇のウクライナ人
1917年、ロシア革命で、ロシア帝国が崩壊し、レーニンの率いるソヴィエト政権が誕生すると、ウクライナは独立し、ウクライナ人民共和国が成立します。この時、初めて、「ウクライナ」という名称が正式な国号の中で用いられました。
しかし、ソヴィエト政権はウクライナの独立を認めず、軍事侵攻し、1917年、ウクライナ・ソヴィエト戦争が勃発します。

そして4年に及ぶ激戦の末、ソヴィエト軍がウクライナを制圧します。1922年、ウクライナは正式にソヴィエト連邦に編入されます。
ウクライナ人はソ連時代も、弾圧され、多くのウクライナ人の知識人や民族運動家が処刑されました。
レーニンの死後、スターリンが独裁を強めていく中、ウクライナ支配を強化していきます。ソヴィエト政権は1932年から1933年にかけて、強制的な農業集団化政策により、ウクライナ農民の土地を没収し、強制労働に従事させます。
推定で400万から1000万人のウクライナ人が餓死したとされています。ウクライナ人にとって、スターリン時代が最も悲惨な時代とされ、ウクライナ人のロシアへの憎悪が刻み込まれていきます。