元は「卜部」と名乗っていた!? 豪族・中臣氏のルーツに迫る

中臣鎌足は常陸出身?
日本史を学ぶ上で必ず目にする「中臣氏」。代表的人物である中臣鎌足は、日本史上、他に類をみない氏である「藤原氏」の始祖としても知られています。今回は、日本古代を彩った100の豪族を網羅した現代新書の最新刊『日本の古代豪族 100』の中から、「中臣連(なかとみのむらじ)」の項を特別に全文公開します!

中臣氏の先祖

元来、宮廷祭祀を担当する豪族で、大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)に次ぐ大夫(まえつきみ)級の有力豪族であったが、鎌足の活躍以降は政治的にも重要な位置を占めるようになった。

本拠地は、河内国河内郡(かわちのこおり。現・大阪府東大阪市周辺)で、枚岡(ひらおか)神社を氏神とし、このほか摂津国三嶋郡(現・大阪府高槻市、茨木市周辺)も有力な拠点であった。又、常陸国の鹿島神社・下総国の香取神社もこの氏の氏神であった。

香取神宮(Photo by iStock)
 

中臣氏の先祖は、『古事記』『日本書紀』の天石屋戸(あまのいわやと)の段に登場する天児屋命(あまのこやねのみこと)とされる。

石屋戸に籠もった天照大神に外へ出てもらうために、この天児屋命と忌部(いんべ)氏の「遠祖」の布刀玉(ふとたま)命(太玉命)が、天香山の聖なる木を根ごと掘り取り、上の枝には玉を、中の枝には八咫鏡(やたのかがみ)を、下の枝には白和幣(しろにきて)、青和幣(あおにきて)を掛け、皆で一緒に祈禱したという。

とりわけ、『古事記』では布刀玉命が「太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて」、天児屋命が「太詔戸言禱(ふとのりとごとほ)き白(まお)した(祝詞を述べた)」とあるのが注目される。これらは、両氏の職掌を表現したものとみられる。

二度目に現れるのは、天孫降臨のくだりで、『古事記』では忌部、猿女(さるめ)、鏡作、玉作らの上祖及び天児屋命の「五伴緒(いつとものお)」が邇邇藝(ににぎ)命と共に天降ったとある。『日本書紀』でも神代下第九段第一の一書(あるふみ)では、同趣旨の内容である。第二の一書では、

天児屋命は、神事の宗源を主(つかさど)る者なり。故に太占(ふとまに)の卜事(うらごと)を以て仕え奉らしむ(天児屋命は、神事の宗源を主る者である。だから太占の占いを以て仕えてくることができた)。

とある。

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