創価学会の法人職員だったぼくの名まえの命名者は「池田先生」 

生まれてすぐに入会させることの是非 
新興宗教の家に生まれ、中・高・大と宗教系の学校に通い、新卒から宗教法人職員として働いていた———。
前回の記事で、そんな異色の経歴をカミングアウトしたことで話題となったライターの正木伸城さんは、生まれてすぐに宗教団体に入会。幼いころから宗教的な教育をほどこされる中で、さまざまな違和感を抱くようになっていったようです。今回は「伸城」という名まえの名づけ親でもある、アノ人物にまつわるエピソードもお届けします。

「ぼく」が勤めていた宗教法人を公表 

宗教法人職員だったぼくが、一般企業に転職していくさまを描いたエッセイを先日公開したところ、大変ご好評をいただいた。嬉しい限りである。その時点では勤め先の宗教法人の名まえは伏せていたのだが、ネット検索に引っかかる情報と記事内容から、かつての所属が「あっ」という間にみなさんの知るところとなった。なので、今日から公表する。 

ぼくは創価学会の本部職員だった。父は元理事長の正木正明。そして、ぼくの出身校は、創価中学、創価高校、創価大学である。そこから学会の機関紙・聖教新聞の記者に採用され、約13年間を法人職員として過ごした。

もちろん学会活動は熱心にやってきた。また、創価学会はいわゆる「鎌倉仏教」の祖師の一人・日蓮の系列に位置づけられるが、「日蓮」についての研究も独学ながら取り組んできた。

加えて、「信仰がひとりよがりになってはいけない」との思いから、仏教学や宗教学をはじめ、他の宗教の聖典(正典)や哲学なども学んできた。

ぼくはさまざまなところで学会の教えをわかりやすく解説する文章を書いてきたが、それができたのはこういった学びの背景があるゆえだと思う。 

さて、そんな「ぼく」の随想をこれから書いていく。さっそく今回の本題に入っていきたい。それは、ぼくの「名まえ」と入会についてである。 

 

生後2ヵ月で入会。「伸城」と名づけられて 

筆者=正木伸城の名を見て、「珍しいな」と感じた人も多いのではないだろうか。「伸城」は「のぶしろ」と読む。何を隠そう、この名まえの命名者は創価学会のカリスマリーダー・池田大作氏である。ぼくが生まれた当時、幹部として勢いを見せ始めていた父が、池田氏にお願いをしてつけてもらったそうだ。 

確かに「伸城」はそうそう見ない名である。だから、幼いころから筆者自身も「珍しい」と思ってきたし、その異色さゆえ、周囲からも「お父さんにつけていただいたの?」とよく質問された。

そのたびに「ううん、お父さんじゃなくて、池田先生につけていただいたんだ」と答えていたことを鮮明に記憶している。すると、学会員でない人は「池田先生って、どんな人なの?」と問いかけてくるので、その都度「池田先生っていうのはね……」と自慢げに説明していた。 

そんな「伸城」の名だが、池田大作氏に命名してもらったのは、ぼくが産声をあげた直後である。

ぼくは1981年11月に生まれた。創価学会に入会したのはその約2ヵ月後、1982年の1月2日のこと。入会時の写真は見たことがないけれど、きっと多くの人に祝福されたことだろう。

ちなみに、入会日の「1月2日」は池田氏の誕生日である。これは一般化して述べていいか迷うところだが、創価学会員は「記念日」を特段大事にする傾向があるように思う。両親が「池田先生のお誕生日に合わせて、伸城を入会させよう」と発想したことは想像にかたくない。 

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