2022.07.24
# 戦争

差別され、非国民扱いされたのに、「国のため」と働いた者も――障害者たちの太平洋戦争

太平洋戦争時の日本で、障害者はどんな扱いを受けてきたのか。空襲が始まると肢体不自由者の子どもの多くは学童疎開に連れていかれず「現地疎開」と称して見捨てられた。その一方で、差別され、非国民扱いされてきた視覚障害者や聴覚障害者たちのなかには「国の役に立てる姿を見せなければ」という想いで軍属のマッサージ師になったり、軍需工場で「産業戦士」として働くことを選んだ者もいた。

『障害者たちの太平洋戦争 狩りたてる・切りすてる・つくりだす』(風媒社)を著し、戦争を経験した多数の障害者、戦争で傷害を負った人たちへ長年取材を続けてきたドキュメンタリー映画監督の林雅行氏に訊いた。

photo by iStock
 

差別し、排除したあとで国家総動員体制に取り込んでいく

――日本では明治に徴兵制と学制がほぼ同時期にできました。どちらも国のために働く、「使える」人間を作り上げるための制度です。戦前には障害者は徴兵制からも公教育からはほとんど排除され、民間の篤志家などが学校を作っているだけだったそうですね。

 盲学校と聾唖学校はありましたが、公立学校は相当に限られていて、しかも義務教育ではなかった。一部の教育者たちは取り組もうとしていたものの、それでも裕福な家庭の子どもなど、通える環境に育った子どもだけが学校に行っていました。

――国が公然と障害者差別をしていた。

 役立たず、足手まといとみなしていたのは間違いないですね。

――ところが昭和初期に国家総動員体制が成立すると、学校にも通わせないし兵力としては不適とみなすことは変わらないものの、今度は国やメディアが障害者をも取り込もうとしていったことが『障害者たちの太平洋戦争』では書かれています。視覚障害者の技療手が徴兵検査を受けて不合格だと思っていたら合格して軍艦勤務の衛生兵(マッサージ師)になったり、聴覚障害者が工場に動員させられると新聞には「これで聾唖者も立派な産業戦士に」「優れた六感でご奉公」などと書かれたり。

 徴兵検査に合格しない時点で事実上の「社会のお荷物」扱いなんですね。ただ今言ったように、お金がある親によって盲学校や聾唖学校に通わせていた場合、教育を受けていますから、軍需工場などで労働することもできた。でも一方で肢体不自由の人たちや知的障害者、精神障害者は、総動員体制のもとで排除が加速していきます。たとえば都立の松沢病院に収容されていた精神病患者たちは配給が減らされ、餓死者が続出しました。

――虐げられていたからこそ、自ら志願して「国のために働きたい」と申し出た障害者の方も少なくないそうですね。

 自分たちも役に立てると、身をもって証したかったわけです。障害者団体、支援団体は戦争に協力することによって障害者の地位の確立を図ろうとした。たとえば婦人参政権の問題にずっと取り組んでいた市川房枝が戦争協力によって女性の地位向上を図ろうと思ったのと同じです。

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