「本は中身以外の部分にも魅力がある」…又吉直樹とヨシタケシンスケが語る、『読む』だけに留まらない本の魅力
目の悪くなった本好きの王様にふたりの男が一夜ずつ交替で王に「その本は…」とめずらしい本を持つ世界各地の人の話を語りかけるというコンセプトの又吉直樹・ヨシタケシンスケ『その本は』(ポプラ社)。
ふたりに“中身だけではない”本のもつさまざまな魅力について語り合ってもらった。(前後編の後編)
前編:又吉直樹とヨシタケシンスケが膨らませた「自由な本のかたち」

本は「本全体」が中身

――『その本は』を読む前はおふたりが書く「めずらしい本」というのが「本の中身」の話なのかと思っていましたが、本がふしぎな力を持っていたり、来歴があったり、その本に関わる人・家族の物語を背負っていたりと、自由な発想で書かれていました。おふたりにとっての「本ってこういうものだよね」ということについて教えてください
又吉 「本は『もの』としてもいい、持っているだけでもおもしろいものがある」という感覚がヨシタケさんと僕とで共通してありました。本を作るのって大変ですよね。文章や絵を描く人、写真を撮る人だけでなくてデザイナーさんをはじめとしていろんな人が関係していて、捨てるところがない。「本の中身=文章や絵」ではなくて「本は全体が中身」なんだと思っていて。僕は海外に行ったときには外国の言葉で書かれた読めない本も買ってきて家に置いていたり、文字以外の部分も楽しんでいるところがあるんですが、ヨシタケさんもそういうところがあるとお話されていたんです。
ヨシタケ 僕は誰かが想いを持って作った本を持っていることに興奮するので、何語かすらわからない、読めない本もたくさん持っています。だって、誰もいないところに本はできないですから。「こういう人がいた!」という証拠として本はある。
又吉 あと僕は「本を読む」というのは、まず買いに行くための体調管理や時間づくりに始まって、どこで読むとかどんなペースで読んでいくかとか、そういうもろもろを全部含めて「読書」だと思っているんですね。「本は中身以外の部分にも魅力がある」ということをヨシタケさんと本を作りながら再確認できたなと思っています。