「元側近が語る安倍亡き後の日本の安全1 途端に不安、岸田総理で防衛力強化を阻む『財政の枠』を克服できるか」で国際環境の急変に対応するため、安倍元総理が主張したように防衛力の増強が喫緊の課題で、そこには財政という大きな壁があることを解説した。更にその外枠である、同盟関係や国際協力の枠組みも、安倍氏が大きく前進させたが、その原動力の一つに、実は歴史問題への安倍氏の取り組みがあった。「広島・真珠湾の和解」が必要だったアメリカ、大戦中の日本の交戦国だった英連邦のオーストラリア、その大英帝国の植民地支配に苦しんだインド。これらの国とQUADをまとめ上げた価値観、歴史観ははたして何だったのか。
歴史問題はなぜ安全保障のテーマなのか
安倍晋三元総理大臣を行った安全保障環境の構築や国際戦略を考える上で、見逃すことの出来ないテーマがある。歴史問題である。

これまでは、日本が軍事力増強に入っていくと、アメリカのリベラル系メディアや国務省の一部は、「日本の軍国主義復活だ」と騒いだ。また、先の大戦での交戦国であったイギリスやオランダ、オーストラリアも、日本に対する反感、反発が根強かった。アメリカや西欧諸国が、日米安全保障条約による同盟関係や、G7といった強いむずび付きをもった友好国であるにもかかわらずである。
一方、これら連合国によって植民地化されていたアジア諸国は、戦場となったという意味で戦争被害者であるが、一方、それよりも、そもそも植民地化されていたと言うことに関して、かつて帝国主義だった欧米諸国に対する反感、不信はいまだに根強いものがある。
日本もまた国内で、戦争責任について、戦後長く、左右の対立構造が存在している。

QUADのように、日本にとって国際的な安全保障の枠組みを構築するというのは、さまざまな歴史観の異なる国を糾合した形で、場合によっては軍事的意味合いをもつことになる強固な信頼関係をむずぶということを意味している。だから歴史問題は必ず乗り越えていかなければならない関門だった。
歴史問題について国際的に政権として公式の見解を打ち出し、数多くの歴史和解を行い、多方面で新しい戦略的な関係を結ぶ。それが出来たのは安倍氏だけだった。パールハーバーにオバマ大統領と行った。日本軍が猛爆したダーウィンにも行った。その安倍氏を失ったことの意味は、日本がかつて持ち得なかった、このような広汎な国際交渉力を失ったと言うことである。