歴史問題を乗り越えアジアも欧米も糾合した安倍氏を失ったことの意味

元側近が語る安倍亡き後の日本の安全2
兼原 信克 プロフィール

もはや歴史の外、あまりの特殊な中韓の事情

もちろん、すべての国との対立が解消した、などというわけではない。

例えば中国。彼らはかつて帝国主義の被害者であったが、いまや、遅れてきた大日本帝国として軍事力を過信して傍若無人に振る舞っている。19世紀さながらに世界は弱肉強食と考えているのだ。弱肉強食の思想は、アジアのものではない。19世紀に外から、特に欧州植民地帝国からもたらされたものだ。

21世紀に入り、自由主義的な国際秩序が根を張りつつある今日でも、今だにジャングルの掟を信奉しているのが、プーチンと習近平だ。彼らは、我々とは明らかに違う。

そしてもう一つが韓国。この国は1987年の民主化が転換点となった。これが日本にとっての1945年の敗戦、もしくは60年代末の学園紛争の時代に当たる。それまで冷戦という外部環境のせいで軍事独裁だったが、民主化により釈放された左派の活動家と学生運動家が共鳴して、冷戦終了間際に、遅ればせながら深刻な国内冷戦構造が発生した。北朝鮮がまだ残っていることも大きい。

世代的には日本の四半世紀遅れと考えていい。それから、日本の保革対立構造が、韓国の国内冷戦構造と連動するようになった。冷戦後、日本国内での政治的発言力が弱まった日本の左派が、国内での司法闘争で敗北した後の歴史問題を韓国左翼に売り込んだ。海外からのアピールで日本国内での自らの主張を援護射撃しようという国際闘争路線だった。つまり、今の韓国の対日歴史問題の多くは、日本からの持ち込み案件なのである。

安倍氏は、窮地に陥っていた朴槿恵大統領を助けるために新たな慰安婦合意を結んだが、文在寅大統領は、これを簡単に破り捨てた。韓国の歴史問題は韓国国内政治と密接に絡んでおり、いくら譲歩してもすぐに反故にされ、また、新たな要求が繰り返される。安倍氏は「もうそんなことは許さない、無理な話については筋を通す」との姿勢を貫いた。

 

韓国左翼は若い。まだ40代、50代である。韓国の反日勢力の年齢を考えると、うまくいって、建設的な会話が出来るようになるまで、あと20年はかかることになる。腰を据えてかかるしかない。

しかし、安倍氏は、イデオロギーがかった日韓の国内政治の産物である歴史問題よりも、自分たちは自由主義世界のリーダーとして、それに相応しい歴史観、アイデンティティをもつべきだという問題意識の方が強かったと思う。

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