「若者のカリスマ」と呼ばれたシンガーソングライター尾崎豊さん。今もなお多くの人たちの心に残り、次世代のシンガーにも歌い継がれる名曲を残しています。そんな尾崎さんとともに時間を過ごし、苦労を共にしてきた妻の尾崎繁美さんが、豊さんが天国へ旅立ってから30年経った今だからこそ語れるようになった、これまでを振り返る連載の4回目。

今回は、前回に引き続き、尾崎豊さんと繁美さんが出会った当初のことをお伝えします。時は、バブル全盛期の1986年。尾崎豊さんが20歳、繁美さんが18歳のときのこと。尾崎さんがN.Y.に旅立つ直前に強引さに負けて電話番号を伝えてしまったものの、繁美さんはきっともう連絡はないだろうな、と切ない気持ちで諦めかけていたそうです。連載4回の前編では、そのあとに知った豊さんの素顔についてお話いただきました。

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以下より、繁美さんのお話です。

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意表を突いた突然の電話

「もしもし。尾崎と申しますが」

豊と初めて会って別れた後、いつの間にか眠りについていた私は、お昼過ぎにかかってきた電話の音で目覚めました。

「はい?」「尾崎豊と申します」「……えっ?」

受話器から聞こえてきたのは、独特の、艶のある声。

豊はNYに行ってしまったとばかり思い込んでいた私は、寝ぼけていたこともあり、「もうニューヨークに着いたんですか?」と尋ねてしまいました。すると、実は飛行機に乗り遅れ、改めて出発するのは2日後に。まずは香港に行ってオープンチケットを買い、その後、ニューヨークへ向かうということでした。

「時間ができたから、もう一度会いたい」と言った、あのときの、豊の声! その後、何百回、何千回と聞くことになる彼の声ですが、電話越しに初めて聞く彼の声は、言葉にすることができないほどかっこよくて……。「きっともう会えない」と思い込んでいた私は舞い上がり、夢見心地のまま、翌日、会う約束をしました。

待ち合わせは渋谷駅のモヤイ像の前でした。「今度こそ時間厳守ね」と、しつこく念を押したにもかかわらず、「何を着ていこう」と鏡の前で迷いに迷って、今度は私が20分も遅刻してしまいました。

「遅刻してごめんなさい」「許さない。お詫びに何してもらおうかな」
手をつなぎ、風に吹かれながら公園通りを歩いて……。豊と並んでベンチに座って見た景色は、いつもよりずっと輝いて見えました。

渋谷駅南口のモアイ像の前で、所在なさげに待っている、サングラスをかけた彼を見つけた時は心が躍りました。写真/尾崎繁美