1986年、人気の絶頂期にあった尾崎豊さんは、所属事務所とレコード会社との契約問題で活動休止中に渡米することになりました。妻となる繁美さんと出会ったのはその直前のこと。初めて出会った日、繁美さんは豊さんに一目で惹かれながらも、遅刻してきた豊さんに苦言を呈しました。尾崎豊さん20歳、繁美さん18歳のときのことでした―。

いまもなお世代を超えて多くの人に愛されている尾崎豊さんとのことを、妻の繁美さんが没後30年経った今だからこそ振り返る連載4回目。前編では、繁美さんに「連絡先を教えてほしい」と言った豊さんが、渡米準備のため香港に発つ前晩に猛烈アプローチ。豊さんから突然アクアマリンの指輪をプレゼントされたことをお伝えました。ここから、ふたりの時間が動き出したのです。

後編では、付き合うことになっても「ワンノブゼム」なのか悩む中、ふたりを決定的に結びつける出来事が訪れます。過去の繁美さんの著書でも語っていない思い出を振り返っていただきました。

以下より、繁美さんのお話です。

 

指輪はもらったけれど……

指輪を渡された翌朝、豊は香港に旅立っていきました。

私は空港までの見送りはせず、「帰ってきたら電話してね」と言って別れました。指輪のサイズを直しに行った渋谷のジュエリーショップでは、お店のスタッフさんから「尾崎君から、とってもきれいな女のコがサイズを直しにくるはずだから、絶対に左手の薬指に合わせてくれって言われているの」と言われ、その言葉はうれしかったのですが、あえて中指のサイズに直してもらうよう、お願いしました。

彼といっしょにいたときの夢見心地の時間を思い出してはいましたが、豊からまた連絡がくるかどうか確信が持てずにいました。あまり先のことまで考えられなかったし、心は高揚感で満たされていた一方で、どこか冷静に状況を見ている自分もいたのです。

豊かからもらった3月生まれの誕生石であるアクアマリンの指輪。写真/尾崎繁美

実際、アクアマリンの指輪には後日談があって、女のコに指輪をプレゼントするのは彼の常套手段だったようで、中には私よりずっと高価な指輪をもらったコもいたようです。後になって豊にその話をしたとき、彼は「お前は3月生まれなんだから仕方ないだろ」と笑っていました。

だから、香港に旅立った日の夜、思いがけず豊から電話があったときには、本当に嬉しかった。それ以降、神保町のレコード店で買った彼のカセットテープを聞きながら、毎日、彼からの電話を待って過ごしました。